思想哲学

藤田正勝「親鸞の「悪」――末法の世における救い」『日本文化をよむ――5つのキーワード』

1. 末法の世に 末法思想:釈迦が入滅してから、その教えが徐々に衰退していくという思想 正法の時代:教えとその実践が残る 像法の時代:正しい修行が成されず誰も悟りを開けない 末法の時代:教えは残るが、行(実践)も証(その結果としての悟り)もなくなる…

鷲田清一『「待つ」ということ』

「待つ」ということ (角川選書) 鷲田 清一 角川学芸出版 「窯変」という言葉がある。陶工はこねた土の上に釉薬を塗るが、窯にそれを入れたあとは、焼き上がるまで待つ。どんな色が滲みでてくるか、ときにどんな歪みがその形に現れるか、それは作家の意図の…

ディートリヒ・ボーンヘッファー『共に生きる生活』(森野善右衞門訳)

共に生きる生活 ディートリヒ ボンヘッファー 新教出版社 Ⅴ章「罪の告白と主の晩餐」 ・背景 罪の告白は、ローマカトリックでは七つのサクラメント(洗礼、堅信、聖餐、告解、終油、叙階、結婚)の一つとされていたが、プロテスタント教会ではルター以降、洗…

吉本隆明「シモーヌ・ヴェイユの神」

「シモーヌ・ヴェイユの神」 吉本隆明 (吉本隆明の183講演) http://www.1101.com/yoshimoto_voice/ どんな政府、どんな支配体制をつくったとしても要するに頭になるもの、あるいは頭脳を働かせて指標するもの、それから実際に肉体を行使して肉体労働する人と…

佐々木敦『ニッポンの思想』

ニッポンの思想 (講談社現代新書) 佐々木敦 講談社 ・なぜ「東浩紀」はひとり勝ちしているのか? 「社会」のなかでの「思想」の地位は、ほとんど目に見える形で凋落してゆきます。(たとえば「出版不況という形で)。このネガティヴ・スパイラルを何とかしな…

『歎異抄』

歎異抄 (文庫判) 本願寺出版社 ・後序 本当にわたしどもは、如来のご恩がどれほど尊いかを問うこともなく、いつもお互いに善いとか悪いとか、そればかりをいいあっております。親鸞聖人は、「何が善であり何が悪であるのか、そのどちらもわたしはまったく知…

シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』

重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ『カイエ』抄 (ちくま学芸文庫) シモーヌ ヴェイユ 筑摩書房 1995-12 奴隷の状況とは、永遠からさしこむ光もなく、詩もなく、宗教もない労働である。 永遠よりの光によって、生きる理由だとか働く理由だとかいったものでなく…

土屋博政『ユニテリアンと福沢諭吉』

宗教多元論の基本的な考え方 人は皆それぞれ自分の信じる思想や信条が最高であり、絶対であると考える。それは良い。しかし同時に、自分と異なる思想や信条を持つ相手の人もそう思っていることを知らねばならない。自分が自分の人生の主人公であると考えるな…

市川浩 精神としての身体

精神としての身体 (講談社学術文庫) 市川 浩 講談社 1992-04-06 身体の疎外をもたらした第三の理由は、身体的欲望が否定され、あるいは抑圧されたということにあります。その一つは宗教的な抑圧ですね。神は純粋な精神であり、善である。ところが人間は、神…

三浦雅士 私という現象

私という現象 (講談社学術文庫) 三浦 雅士 講談社 1996-10-09 現在を過渡的であると感じるのは、どのような人間もつねに、自己の生きる時代に違和を覚えるからである。そしてそのことは、時代のすわりごこちの悪さをではなく、ただ、人間そのものがすわりご…

谷徹 これが現象学だ

これが現象学だ (講談社現代新書) 谷 徹 講談社 2002-11-15 アプリオリなものについての学問(数学や論理学など)は「本質学」であり、これが見出す「真理」はーーライプニッツの言葉で言えばーー「理性の真理」であった。アポステリオリなものについての学問(…