佐々木敦『ニッポンの思想』

  ・なぜ「東浩紀」はひとり勝ちしているのか? 「社会」のなかでの「思想」の地位は、ほとんど目に見える形で凋落してゆきます。(たとえば「出版不況という形で)。このネガティヴ・スパイラルを何とかしなくてはならない。もちろん、そのためにはただコンスタンティブに優れた「テクスト=作品=思想」を書けばいいというわけではない。そんな時代はとうに終わった。パフォーマティヴな「効果」を織り込み繰り込みながら、しかしコンスタンティブでもある「テクスト」を生産しつつ、同時にさまざまな「パフォーマンス」を行ってゆかなければならない……。 このような「サヴァイヴァル感覚」は、東浩紀のみならず、おそらく「ゼロ年代」に「思想」を志向した者の誰もが抱いているものだと思います。「ゼロ年代の思想」は、『動ポモ』系の「オタク系カルチャー/サブカルチャー』の分析と、「情報自由論」系の、広義の「公共性」にかかわる「社会」の諸問題を論じたもの、そして両者をリンクさせたものが大勢を占めていると思うのですが、筆者にはときどき、後者で前提とされている「公共性」の概念が、いわば「思想」をするためのプレテクストのように思えてしまうことがあります。そこでは、真にリアルな、必死になるべき「問題」としてではなく、いってみれば「誰がいちばん頭が良いのか競争」の「ゲームボード」として、とりあえず「公共性」という「ルール」が掲げられているような気がしてしまうのです。(中略) 「再設定」された「ゲームボード」の条件は、二つあります。第一に、とにかく「勝敗」がはっきりすること。第二にそれが、なんらかの具体的な「成功」と結びついていることです。第一の条件をクリアしないと、すぐさま「相対化」に巻き込まれてしまう。かといって「ゼロ年代の思想」は、たとえば「八〇年代」の「おたく」がそうであったように、趣味判断の特殊性(センス)や、蓄積した「知識」や情報の多寡を競いはしません。「センスが良い」とか「他人が知らないことを知っている」とか「知っていること」の「早さ」や「速さ」は、そこではむしろ侮蔑の対象になります。なぜならば、それだと「ルール」が共有できないからです。したがって「ゼロ年代の思想」は、プレイヤーたちによってあまねく「共有」されたフィールド(主に「オタク系カルチャー/サブカルチャー)」と、どんな人にとってもほぼ共通する問題系(「社会」や「ネット」や「公共性」など)を相手どることになります。(中略) 「ゼロ年代の思想」という「ゲーム」は、もう「遊戯」ではありえず、それがどういう意味であれ、真剣な「競技」であらねばならないのです。でなくて、どうしてひとは、今更わざわざ「思想」をしようなんて思うというのでしょうか? pp.334-336 東浩紀宮台真司もよく使う、「メタ」と「ネタ」と「ベタ」という言葉があります。「メタ」とは「外側」から語ること、「ネタ」とは自分自身も信じていないことを語って(振って)みせること、「ベタ」とは「メタ」も「ネタ」も欠いた単なる「素」で語ること、です。「批評=思想」とは本来「メタ」なるものです。しかしそこに「パフォーマンス」が入り込んでくると「ネタ」という要素が出てくる。「メタ」のインフレーションが「ネタ」を誘発したのが、「敢て」の「アイロニー」です。 だが、おそらく東浩紀という「思想」家の行動原理は、「メタ」のふりをした「ネタ」のふりをした「ベタ」です。そう、彼は実のところ、そもそもの最初から現在に至るまで、ずっと「真摯=本気」なのだと思います。pp.337-338 *** 思想というものが勝敗がはっきりとした「競技」化していること、そして公共性というものがその競技に参加するためのルールとして利用されていること、その競技のなかで勝ち抜くためには優れた作品を生産するだけでなく、いかにパフォーマティブに振る舞うかということが重要になっているということ、こうした傾向はゼロ年代から今に続くまで確かに続いているように感じる。それは東浩紀に限らず、古市憲寿村上隆らを見ててもそうだけれど。 ポストモダンの時代における、「それぞれにおいてそれぞれの立場があります」という価値の相対化と、価値を担保するための表象の差異化に飽き飽きとした人々が、もはや「遊戯」でもなく「競技」として思想を語るようになったということは非常に象徴的なことで、そのような結果がすぐにでて優劣がはっきりと分かることをよしとする風潮はあらゆる分野において散見されるように思う。それは安倍政権が推し進める二極化の風潮しかり、日本のサブカルチャー(下位文化)がポップカルチャー(大衆文化)へと吸収されている風潮しかり、建築におけるモダニズムへの回帰しかり、ネットからテレビへの回帰の風潮しかり。ポストモダンの時代に価値の相対化が進み、人々が同じ物語を共有できなくなったり、同じ土俵で相撲することができなくなったことに飽き飽きした人々は、再び大きな物語や同じ土俵での勝負による序列づけというものに興味を示し始めたのではないか。モダニズムが求心的、統合的な性格を持っているのに対して、ポストモダニズムは拡散的、均衡的な性格を持っているということは修論でも取り上げたけれど、ポストモダンの拡散の流れや価値の相対化の行き過ぎは、振り子が大きく振れるようにモダニズムの統合の風潮へと回帰したように見える。 確かにあらゆる価値が相対化され、優劣なくばらばらとフラットに存在するという風潮(みんな違ってみんないいとかナンバーワンでなくオンリーワンといったような)は行き詰まりをみせたのかもしれないけれど、それに対してまた反対の極へと振り子が触れ、同一の価値基準の中での序列づけに回帰してしまうというのはあまりに思想が幼児化しているように思える(それは左翼少年が青年期を過ぎて急速に保守化するように)。かつての自民党にはリベラルと保守が派閥として共存していたし、ハイカルチャーへのカウンターカルチャーとしてサブカルチャーが勢いを持っていたし、モダニズムのアンチテーゼとしてのポストモダニズム(それは風土性や折衷性として)が存在していた。成熟した宗教にも保守とリベラルという立場の違いが必ず存在し、そこには相反する価値の間での緊張関係というものが必ず存在する。そのような矛盾や緊張を全て取り払ってあらゆるものを統合し、序列づけていこうとする風潮には違和感を覚えざるをえない。新自由主義、グローバリゼーション、ナショナリズムへの行き過ぎた信仰も、価値の相対化の不安や居心地悪さに耐えきれなくなった人々が、再びコミットしうるひとつの物語を安易に求めた結果のように思えてならない。それは言い換えればひとつの「宗教」で、それもかなり安易な信仰でしかない。 京大の佐伯先生がいつか、ポストモダン的状況のなかでの知は、権威の形骸化もしくはニッチな方向へとサブカル化していくしかないとおっしゃっていたけれど、モダニズムの時代の近代科学への信仰も薄れ、さらにはポストモダン的価値の相対化にも飽き果て、行き着いた先が新自由主義ナショナリズム、もしくは単なる知的競技としての「思想」だと思うと悲しくなる。大きな物語を持つことも難しい、持とうとしてもかなり偏ったものにならざるを得ない、かといって「個」がそれぞれの物語を持つということも「個」への負担が大きすぎるし、そもそもなんらかの共同性というものなしに物語というものが成立しうるのかということも疑問に思える。河合隼雄はその「個」の物語ということを重視すると同時に、たとえ想像の共同体であろうと「日本人」という集団の共同の物語をも求めていたけれど、これからの時代において我々が共有しうる物語とはどんなものなのか、どのような価値にコミットしていきうるのかということはまだあまりはっきりとしない、というのが現状だと感じる。