・漂う
モダニズム
槇は、「
モダニズム」は輝きを失ったと指摘し、水村は、「文学」は輝きを失ったと言う。20世紀前半に生まれた「
モダニズム」と19世紀の日本の近代化に合わせて誕生した「文学」にどんな類似性があったのだろうか。『
日本語が亡びるとき』を改めて読み込んでいくと、「
モダニズム建築」と「文学」の並行関係が次第にあぶり出される。そう、
モダニズムも文学も、「翻訳」であったがゆえに、「ある時」輝いたのである。 p.38
・
モダニズムの普遍性と多様性
当時、19世紀の世紀末から20世紀の初頭にかけて、そのような「世界図書館」の存在が見えていた人間は、世界の中で多くなかった。日本の
近代文学は「翻訳者」の質と量において全く特別な存在であったと、その時代の日本の輝きを水村は懐かしむ。それと比較して「文学商品」しか書かなくなった今の日本の作家たちが、いかに世界の「図書館」とは無縁な「地元の」イナカの物書きとなったかを、水村は嘆くのである。(中略)
しかし、今、槇が指摘するように、
モダニズムという大船はどこにも存在しない。すべての建築家が、大海の中を漂流している。そのような時代には、誰もかつての
モダニズム対非
モダニズム、大船対藻屑という二分法を用いて、瓦の載った
歌舞伎座を批判することはないだろう。この「脱大船」への時代の流れを感じて、僕は、第五期の
歌舞伎座の設計を引き受けたのかもしれない。p.39
岡田信一郎が翻訳したクラシシズムとは、都市の中にもモニュメントを創造する術であった。クラシシズムに習熟したエリートが、突出したモニュメントの建設を請け負った。明治、大正という時代が、モニュメントを必要としたからである。一方、
モダニズムの時代、突出したモニュメントではなく、工業化時代の翻訳者達は、モニュメンタリティを解体することで、社会のエリートとなった。工業化によって、経済が拡張する時代には、スタンダードな商品をつくり、普及させることが、エリートの役割であった。吉田流のさっぱりとした和風が、この時代のスタンダードなテイストとなった。
そして今、成長の時代が終わり、工業化の時代が終焉したのである。商品を購入し、商品を手にいれることが豊かさである時代は終わった。その時、人びとの心に何が起こるのだろうか。
われわれの時代、脱工業化社会の豊かさは、商品によってもたらされるのではなく、「さまざまな祭り」によってもたらされる。「祭り」を媒介として、街と繋がること、仲間と繋がることが、今という時代における豊かさなのである。その時、
歌舞伎座は、街とわれわれを繋ぐ媒介として、華やかな祝祭空間として、復活を遂げる。(中略)
縮小の時代、
シュリンクする時代、甘くて大きなパイが小さく縮む時代には、この理屈は通じない、縮小の時代は、エリートではなく、ヤンキーによってリードされる。ヤンキーは落ちこぼれることによって、落ちこぼれを「文化」に昇華することで、やるせない縮小の時代の、ガス抜きとなるのである。
振り返れば、そもそも江戸という時代が、平成の今と全く同じ意味で
シュリンクの時代であり、ヤンキーの時代であった。だから、そこに歌舞伎というヤンキー文化が花開いたのである。p.43
水村が嘆く、小説の退潮とは少し違う状況が、建築にはある。言語とは、そもそも抽象的メディアであり、場所との結びつきが弱い。だからヤンキーの時代に、小説は必然的に弱体化する。一方、建築とは、そもそも具体的で、場所とつながっていて、リアルこの上ない。だから、ヤンキーの時代に、再び建築が輝くのである。建築は、「地元」のものである。そもそも建築というメディアはヤンキー的であり、母性的であり、物質的なのである。p.43
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