シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』
秘跡を通じて、そうなるように。労働は、死のようなものである。
死を通って行かねばならない。死なしめられねばならない。この世の重力を受け忍ばねばならない。人間の腰のところに重くのしかかってくる宇宙、人間がそのために苦痛を感じるとしても、驚くことがあろうか。
労働は、刺激剤がないかぎり、死のようなものである。働きの実を得ることをあきらめて働くこと。
労働することーー疲れ果ててしまうのは、物質のように、時間の従属物になってしまうことだ。思考は、過去にも未来にもすがりつくことをゆるされずに、ただ瞬間から瞬間へと移って行くことを強いられる。それが、服従するということである。
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疲れと並行したよろこび。はっきり感じられるよろこび。食べること、休むこと、日曜日の楽しみ・・・だが、金銭はそうではない。
民衆に関する詩は、どんなものであろうと、そこに疲れ、および疲れからくる飢えと渇きがなければ、真正なものとはいえない。
pp.294-295
奴隷の状況とは、永遠からさしこむ光もなく、詩もなく、宗教もない労働である。
永遠よりの光によって、生きる理由だとか働く理由だとかいったものでなく、そうした理由を求めずにすませられるほどの充実が与えられますように。
それがなければ、強制と利得だけが、労働へとかりたてる刺激剤になってしまう。強制は、民衆の抑圧ということが含まれている。利得には、民衆の堕落が含まれている。
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肉体労働。肉体の中へとはいってくる瞬間。労働を通じて、人間は物質となる。キリストが聖体の