明石家さんま「座右の迷」

「人生 うわっつら」 *** 書類と会議ばかりの官僚的形式主義も、茶道における「型」の重視も、コミュ力と学校歴を重んずる就活文化も、お歳暮の包装紙も、「役に立つ」研究への資源の集中も、政治家のウソやハッタリも、場における「空気」も、組織における厳格な上下関係も、短期的な株価の重視も、すべて同じものなのかなと思う。形式と実質(上辺と中身)は相補的で、前者を優先すること自体は良いことでも悪いことでもないのだろう。

 

 

あなたが"self-efficacy"を感じるとき

  

2016年7月17日

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 「ある状況において必要な行動をうまく遂行できるという個人的な確信」をself-efficacy(自己効力感)と呼ぶのであれば、非常に精神的なもので気持ちの持ちよう次第でいつでも、どんな人でも持ちうるものであるかのように聞こえるが、個人的な経験からすれば、そのような感覚は一朝一夕で持ちうるものではなく、より身体的なもので生活や経験に根ざしたものであるように思われる。self-efficacyは感覚として身体のうちに自ずから生じてくるものであって、身体が行動を拒否しているにも関わらず自己啓発的な手法によって恒常的に持ちえるものではない。

 バンデューラ自身もself-efficacyを高める方法として、成功体験、代理体験、言語的説得、生理的状態の4つを挙げていたが、やはり基本にあるのは成功体験であろう。いくら自分を勇気づけて不得意な分野での努力を続けたとしても、長期間にわたって成功に結びつかなければほとんどの人がやる気を失ってしまうし、その問題は気持ちの持ちよう次第で解消できるようなものであるとは思えない。それに対して自分が得意なことは成果も現れやすく、努力すること自体もあまり苦にならず良い循環が生まれやすい。自分が得意かつ好きな領域をどこかに見出し、そこで成果を上げていくことが理想的だといえる。

 self-efficacyを高める方法として成功体験の次に私が重要だと感じるものは生理的状態である。先にもself-efficacyは身体感覚だと述べたが、このような自信や前向きな考えというものは、想像以上に身体的なものと結びついているように思われる。毎日規則正しい生活を心がけ、バランスのとれた食生活を送り、定期的な運動を行っていると、自然と考えが前向きになり、何事にも挑戦しようという意欲が湧いてくる。それに対し、昼夜が逆転したような生活を送り、不健康な食生活、あるいは酒やタバコを摂取していると必ずといっていいほど思考もネガティブとなり、研究の効率も悪く、成果もあがらず悪循環に繋がっていく。

 脳科学の研究によると人間の脳において前頭葉は感情、言語、運動を司る脳の司令塔のような役割を果たしており、自制心を持ったり、主体性をもって計画的に物事を進めたり、対人間のコミュニケーションを円滑にするうえでもとりわけ重要になってくるという。意欲やモチベーションを司っているという意味においてもself-efficacyと前頭葉の働きは大きく関係しているように思われるが、興味深いことに前頭葉の機能は規則正しい生活、家事などの雑務、ランニング等の有酸素運動などによって活性化されやすいという。「自分が行為の主体であると確信していること、自分の行為について自分がきちんと統制しているという信念、自分が外部からの要請にきちんと対応できるという確信」がself-efficacyの具体的内容であるとすれば、それは前頭葉がきちんと機能していることによってもたらされる内容と極めて近く、前頭葉を活性化させることがself-efficacyを感じることに繋がるといっても過言ではないように思われる。その意味においても、自分が生活を整え、定期的な運動を行っている際にself-efficacyを感じるのはある種必然ともいえ、そのような些細にもみえる生活の細部と深いところで結びついているように感じるのである。

ローカライゼーションはグローバライゼーションの原点か

 

2016年11月28日

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 グローバライゼーションが進んだ現代社会のなかにあって、仮に英語が話せて海外で仕事ができるようになったとしても、そこに自分の拠り所とするものがないのであれば、それはただ世界の潮流に自己を埋没させては世界中をせわしなく移動し続けるだけの根無し草の存在になりかねない。自分が誇りとできること、得意としていること、受け継いできたこと等々、他者あるいあ世界との関係のなかで自分を措定できる軸のようなものがなければ、それは空虚な話であり、また真の意味での国際人にもなれないように思われる。

 だがその反対に純粋なる日本の伝統、あるいは自身のアイデンティティというものをひたすら追求するような態度もそれはそれでおかしな話であり、他者、あるいは時代との関係なしにはじめから唯一無二のかたちで存在する自分らしさというようなものもただのフィクションでしかない。我々はグローバライズされた現代社会のなかに生きているのであり、常に世界文化との相互作用のなかで日々の生活を営んでいる。そのような時代状況のなかで、ひたすら地域とのつながりや日本人であることの特殊性だけを訴えてみても、それは現実とのつながりを欠いたただのノスタルジーにしかなり得ない (そしてそれは過去の時代においても同様であろう)。実際には、自己の立場、他者との違いというものは他者あるいは世界と関係しその相対的な関係性のなかで徐々に浮かび上がってくるのであって、他者との比較なしに絶対的に存在するものではあり得ない。言い換えれば、自分が日本人でいることを真に自覚するためには国際人でなければならいのであり、ローカライゼーションがグローバライゼーションの原点となるのと同様にグローバライゼーションはローカライゼーションの原点となる。両者は常に相互規定的であって、一方がもう一方を介在せずして存在するということはあり得ないだろう。

 

 そしてこれは建築や都市の問題についていっても同様のことがいえる。現代建築においては世界共通の普遍的建築を目指すモダニズム建築がその主流となっているが、それはグローバライゼーションと同様、その単一的性格に大きな特徴がある。だが現実には世界共通の建築を実現するためにその土地の地域性・場所性といったものを排除しようすればするほど、逆説的にそれらを拾い上げてしまうということが言われてきており、世界共通の普遍的建築などひとつのフィクションに過ぎないということが疑われるようになってきた。また、その反対にその地域に根ざした風土的な建築を追求する向きもあるが、これは観光地などをみてもわかるように、その場所の特殊性というものを一義的に追い求めてしまうと、現実との繋がりを欠いたどこにでもあるようなノスタルジックなテーマパークが出来上がってしまうという逆説的事態に陥る。実際のところ、世界共通の普遍的建築と地域に固有の特殊的建築といった両極はともにフィクションに過ぎないのであって、その片方を一義的に追い求めれば反転して全く逆の結果を生んでしまうこととなる。大切なことは中庸の精神といってしまうと平凡な結論であるが、このような相異なる方向性に引き裂かれながらそれらを統合していくことは建築設計におけるひとつの重要な役割であるといえるだろう。

建築的事象にみるメタファと身体知

 

2016年8月4日

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 レイコフ・ジョンソンによれば、メタファーの本質は、「ある事柄を別の事柄を通して理解し、経験することである(注1」という。「われわれが普段、ものを考えたり行動したりする際に基づいている概念体系の本質は、根本的にメタファーによって成り立って(注2」いるのであり、われわれの思考はロゴスそれ自体というよりも「なぞらえ(注3」に依存している。「概念」とは、それ自体のもつ「固有の属性」によって定義されるものではなく、むしろ各人にとっての意味のことなのであり、それは多くの場合において他の概念へのなぞらえによって理解される。たとえば、ある人が「君の主張は守りようがない」と言う場合、その人は「議論」というものを「戦争」や「争い」になぞらえて理解していることを暗黙のうちに認めているのであり、「議論」という未知の事柄についての説明を、「戦争」という既知の事柄を通して行っているのである。

 このようなメタファーの働きは、詩的な表現形態においてのみ役立つ修辞的な文飾の技巧であると思われていることも多いが、レイコフ・ジョンソンによればメタファーとはそのような限定的な働きをもつものではなく、あらゆる思考や行動、言語活動一般にいたるまで我々の日常の営みに深く浸透しているものであるという(注4。

 たとえば、自然科学的な客観主義はメタファーから最も遠いものであるとしばしば見なされ、客観主義という神話においては、「人間は客観主義であることができ、それは明確に正確に定義された言葉、現実とぴったり一致している言葉を用いた場合に限られ、メタファーその他の修辞的な表現は使うべきではない(注5」と考えられる。しかしながら実際には客観主義における理性の働きとされるもの(カテゴリー分類、含意、推論等々)には、必ず物事のある一面のみに着目し、別種のものと結びつける「メタファー」的、「なぞらえ」的思考を伴っている。たとえばニュートンがリンゴが木から落ちるのをみて万有引力の仮説を立てる際、リンゴの密度、質量、形状といった物理的諸要素に着目しては、それを地球という別の物体のそれと結びつけ、その枠組みの中においてある法則性を見つけだそうとする。そこでは、果物である、赤色である、甘い味がする等々のリンゴの別の側面は無視されているのであり、リンゴの物理的側面のみが選択的に抽出されている。自然科学的手法は、万人に共通の普遍的手法でありメタファーとは一見無縁のものように見えながら、ニュートンの例をみても物事の有する多面的性格のある一面のみを抽象し、他の要素と結びつける「メタファー」的思考が垣間見える。

 その反対に、ロマン主義的に代表されるような主観主義では、詩的メタファーは純粋なる想像力の産物であって理性の活動とは無縁のものであると時に考えられるが、そのような考え方も極端なものであり事実を歪めている。主観主義という神話においては「客観主義は抽象的・普遍的・非個人的たらんとして非人間的になる可能性がある。感情や審美的感受性を知るために客観的・合理的方法などない(注6」とし、理性・科学・客観性が軽視され詩的メタファーが偏重されるが、実際のところ日常生活におけるあらゆる物事の理解は概念体系に基づいて得られているのであり、その概念体系は物理的文化環境からは逃れられない。たとえば「時は金なり」という比喩を用いる場合、「時間はわれわれが目標を達成するために使う、限りある資源である」ということが意味されるが、このような比喩が成立するのは時間が貴重な品物であり、限りある資源であり、お金そのものであるかのごとく行動しているわれわれの文化環境を前提としているがゆえのことである。しかしながら、これはすべての人類が時間を概念化するうえでとらなければならない手法では決してなく、時間がこのような概念としては捉えられない文化は世界に数多く存在する。このような例ひとつをみても、個人の独創や創造性の産物とだけ考えられがちなメタファーも実際には文化的背景といった客観的枠組みからは逃れられないことがわかる。

 さらには、このような詩的メタファーにおいても、先のリンゴの例の場合と同じように、「循環するもの」「流れるもの」「使ったり節約したりするもの」等々の時間の有する様々な側面のうち、「使ったり節約したりするもの」という最後の側面のみに着目し、同様の役割をもつ「お金」と結びつけているのであり、ここでも抽象化による含意(ある面を際立たせ、ある面を無視する)という理性の働きが隠されている。レイコフ・ジョンソンも指摘する通り、メタファとは「想像力を働かせた理性活動」なのであって、理性と想像力を結びつけその間を橋渡す両義的な存在なのである。

 ではこのようなメタファーは建築及び建築設計の場面においてどのような役割を果たしているのであろうか。

 建築家はしばしば、自身が設計した建築を説明する際、「壁が立ち上がる」「部屋は前庭に向く」 「空間が内部に人を導く」「緑を取り入れる」「人々を包み込む」 「雨風に耐える」「荷重を支える」等々、建築物自体を主体に見立てたような言語描写を行うが、このような表現形態は建築家の言説を注意深く観察してみればほとんど無数に存在している(注7。これらの弁説の多くは無意識的なものであり、発話者自体は自身がそのようなメタファー表現を用いていることについて無自覚であろうと考えられるが、先の例をみても、「人間の身体感覚という既知の事柄に基づきながら、建築という別の事柄について理解する」というメタファー的思考を建築家は暗黙のうちに行っており、メタファー的ななぞらえによる物事の理解は建築設計の現場においても不変的に見出せることがわかる。

 それは近代における代表的な建築家の言説においても同様で、たとえば、ル・コルビュジエは近代建築史における金字塔的作品であるサヴォア邸(1931)を設計した際、「住宅は住むための機械である」という言説を残し、現代における建築は工業製品のように世界共通の普遍的なものでなければならないとした。この言説は建築史に刻まれ、以後の建築に爆発的な影響を及ぼすわけであるが、よくよく考えてみればこのような言説の場合においても先の「客観主義の神話」の場合と同様に、「機能性」という建築のひとつ側面のみに着目し、それを「機械」という別の事柄に結びつけて理解するというメタファー的思考を伴っている。モダニズム建築は客観性と普遍性を謳っては自身の有する価値の揺るぎなさを主張するわけであるが、その底にはメタファー的思考による含意が潜んでいるのであり、その含意によって無視されている事柄は数多く存在する。

 それはコルビュジエの他の言説にもあらわれていて、たとえば、「建築とは、光の下に集められた立体の薀蓄であり、正確で、壮麗な演出である。われわれの目は光の下で形を見るようにできている。明暗によって形が浮かび上る。立方体、円錐、球、円筒または角錐などは原初的な形で、光ははっきりと浮び上がらせる。(注8」というコルビュジエによる有名な建築の定義をみても、「陰影が映し出される量塊」という造形芸術としての建築の側面がクローズアップされている一方、「人間が住まう場所」という建築の居住環境としての当たり前の側面は、それが無視されていることに気づかないほどに自然なかたちで選択的に無視されている。

 コルビュジエが中心となって築き上げてきた建築におけるモダニズムは、建築と場所、人間の身体、歴史や超越者との関係を切断しては、RC造や幾何学形態に基づいた自由で普遍的な形態を追い求めてきたわけであるが、60-70年代以降になるとそのようなモダニズム建築に対して、「禁欲的で親しみが持てない」「均質で非場所的である」「歴史性が欠落している」等々の批判がなされるようになる。これらはすべて、先の「住宅は住むための機械である」というメタファによる含意によって切り落とされてしまった価値への揺れ戻しの動きであるといえ、モダニズム建築が追い求めてきた客観性と普遍性が、ひとつの抽象化されたモデルの中においてのみ成立しうるものであることを端的に物語っている。

 もちろんそのようなモダニズム建築が見落とした価値を再考していった建築家は数多く存在し、その代表的な人物の一人にルイス・カーンという建築家がいるが、カーンの建築において重視されるのは、モダニズムがあまり重きを置いてこなかった人間の身体や超越者との関係である。カーンの言説を追ってみても“Structure gives light makes space.”(構造体は光を与え、光は空間を作る。)、“ The Plan - A society of rooms is a place good to live work learn.”(平面図-部屋による社会-は良く良く住み良く働き学ぶための場である。)等々、建築に主体性を認めるような「メタファー」的、「なぞらえ」的理解の例には事欠かない。カーンの場合においては最初に述べた建築家の言説と比較すると、より意識的なかたちで建築という無生物に主体性を認め、人間の生活感覚に照らし合わせて理解しようとしている態度をみることができ、モダニズムによって切断されてしまった人間と建築の関係を再接続するような動きとして理解できよう。

 そして、このようなモダニズムが切り落とした価値との再接続を試みたのは、フィンランドの建築家アルヴァ・アアルトの場合においても同様である。ただカーンと異なるのは、アアルトの場合、超越者との関係よりも場所や自然との関係というものが重視され、さらには建築についての言説ではなく建築それ自体のうちにメタファを潜ませる点である。たとえば、アアルトの真っ白な内部空間における陰影の微妙な変化は北欧の雪景色における「白色」の質的な多様性というものを物語っているのであり、アアルトが図書館建築で好んで用いた扇型のプランも、太陽の光を求めて放射状に広がってく植物をモチーフとしている。 その他にもオーロラ、太陽、湖、蜂の巣、木立等々、北欧の自然の事象のメタファーの例には事欠かず、アアルトの建築においてはこれらのメタファーが人工物と自然という対立物を結びつけるシンボルとしての役割を担っているといえる。

 このようにメタファーは、いかなる場合においても、異質なる両者を結びつけ橋渡しする働きをもつのであるが、その橋渡しのあり方としては、推論や含意の過程のように、多くの人が認める物事のある側面を強調しより別のカテゴリと結びつける場合(建築は住むための機械である、等々)もあれば、詩的メタファーのように物事のこれまであまり着目されなかった一側面に注目し思いもよらぬ別種のものと結びつける場合(室内空間と雪景色、等々)も存在する。いずれの場合にせよ、メタファーはある事柄を抽象しては、別の事柄と結びつけるという「想像力を働かせた理性活動」なのであり、人間の思考過程(当然、建築設計も含む)の基本となるものであるといえよう。

注記

1 G・レイコフ、M・ジョンソン(1980)渡部昇一、楠瀬淳三、下谷和幸訳『レトリックと人生』大修館書店、6頁。

2 同書、3頁。3 尼ヶ崎によれば、レイコフ・ジョンソンのいうところのメタファーは日本語にするのであれば「隠喩」よりも「なぞらえ」の方が適切であるという。尼ヶ崎彬(1990)『ことばと身体』 勁草書房、130頁。

4 レイコフ・ジョンソン、前掲書、3頁。

5 同書、265-267頁。

6 同書、267-268頁。

7 たとえば、以前の研究室の知人は、「新建築」という建築雑誌のバックナンバーを1945-2010年まで集め、このような表現を1027箇所にわたって見つけだしている。

8 ル・コルビュジエ(1923)吉阪隆正訳『建築をめざして』鹿島出版会、38-39頁。

二度の金融危機の先に見えるものとは?

  

2016/11/14

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 経済危機というと、なにか自然災害のような不可避的な現象のようにも聞こえるが、実際には地震津波等と違ってほとんどの部分が実際の人間の経済活動によって引き起こされた事象であるといえ、それは現代社会のある種の矛盾と行き詰まりを示している。

 そもそも資本主義とは資本が自己増殖をしていくところにその特徴がある。それは、資本主義が常に開拓していく「フロンティア=周縁部」を必要としているとも言い換えることができよう。戦後、高度成長期のようにに冷蔵庫、車、テレビといった耐久消費財に代表されるような「モノ」が不足していた時代においては、製造業などに投資しては利潤を得るというスタイルが一つのスタンダードであった。

 さらにそのような成長スタイルは二割の先進国が八割の途上国からエネルギーや人的な資源を安く買うことを前提としており、そのことによってのみ先進国の全体としての成長というものが成立していた。成長とはより早く、より豊かになることなのであるから成長には資源の消費が不可欠であり、それゆえ途上国が近代化され先進国と同じような生活を目指せばその人口分だけエネルギー消費が倍増していくことに繋がってしまい資源が不足してしまう。現実には途上国が途上国であってくれたゆえに、先進国は全体として経済成長ができたのであり、これから同じように新興国が発展して地球全体として半永久的に成長していくことなど資源が無尽蔵に存在しない限り有り得ない。

 さらにそのようなかたちの実物投資による利潤の追求は、モノが豊かになり市場が飽和してくるにつれ利潤率が低下し、資本の拡大再生産ができなくなっていく。そのような資本主義の限界は70年代頃にはすでに見えていたのであるが、そこで資本主義が自己延命するために見出した方策は、電子・金融空間という仮想空間の創造である。これはITと金融自由化が結びついてできた空間のことであり、これによって資本は瞬時にして利潤を得ることが可能となった。70年代半ばにおいてすでに実物投資による資本の拡大はすでに縮小傾向にあったが、80年代では個人の貯蓄率は比較的高く、これから時代が大きく変わっていくような期待もまだあり、土地や証券といった新たなフロンティアを探しては、それが値上がりし続けていくという神話のもとにマネーを注ぎ込んでいった。これによってバブルが引き起こされ、資本主義が正常運転しているかのような偽装を図ったのであるが、そのような虚偽はすぐさまバブル崩壊といったかたちでその矛盾を露呈することになる。バブルの生成過程において富が偏在していく一方、バブル崩壊によって企業は解雇や賃下げなどリストラを断行させ中間層は没落し、格差は拡大していく。その結果、購買力が落ち消費は落ちこみ、それへの対処という名目で超低金利国債の増発が行われ、資本の自己増殖のためにバブル経済も厭わなかった結果、超低金利に陥るという矛盾に至るのである。

 現代社会のもう一つの特徴はグローバリゼーションである。グローバリゼーションとはヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動するプロセスと捉えられがちであるが、実際にはグローバリゼーションとは中心と周縁からなる「帝国システム」と「資本主義システム」にあって、中心と周縁を結びつける、あるいは中心と周縁の組み替えを行う作業のことであるといえる。中心と周縁の対立はかつてはそれは先進国と途上国というかたちで現れていたのであるが、途上国が成長して新興国に転じて満足できる利潤が獲得できなくなると、新たなる「中心」と「周縁」の構図への組み替えの作業が必要となる。資本が国境をやすやすと越えていく現代では、それはかつてのように国家間の対立としてではない国家の内部における二極化の構造として現れてくる。それは端的にいえば米国におけるサブプライム層であり、日本における非正規社員である。リーマン・ショックは先進国が実物投資では成長できないがゆえに、ヴァーチャルな空間で無理な膨張(高レバレッジサブプライムローンなどの欠陥金融派生商品)をさせた結果、それが破裂して起きたと言われる。

 以上のような流れをざっと眺めても、社会全体としての成長という考えは近代の一つの神話に過ぎず、そのような意味においての資本主義はすでに矛盾が露呈してきていることは否定しがたいであろう(より正確にいえば、資本主義ははじめから矛盾を内包していたのであるが、それが国家間の矛盾としてではなく国家内における矛盾として身近なところで露呈しはじめてきた)。

 一般論として既存のシステムがある問題を抱えている場合、既存システムをひたすら強化する方向を推し進めるのであればその矛盾は一層露わなものとなっていく。資本主義についていえば、既存の成長戦略をこれからも推し進めていくのであれば、「中心」と「周縁」の構図は、それがどのような組み合わせであれ、よりはっきりとしたかたちで現れてくるであろう。現代日本を引き合いにだせば、インフレ目標公共投資法人税の減税や規制緩和などこれまで通りの成長戦略を推し進めていくのであれば、また新たなバブルを生んで富が一部に集中し、中間層が没落しては格差が拡大して階級間の対立は深まっていくであろう。それは良い悪いの問題ではなく、資本主義の有しているある種の一面性を示している。労働基準法規制緩和非正規雇用の拡大、ホワイトカラーエグゼンプション等々、すべて新たなる「周縁」の開拓であり、「中心」が新たなる「周縁」を求める構図自体は変わっていない。

 昨今では「成長」の戦略に対置させて「縮小」の戦略ということも言われるが、それがどの程度現実味があることなのかは個人的にはまだよく分からない。ただ「社会全体としての成長」というイデオロギーが資源が無尽蔵に存在することを前提とした神話に過ぎないことは確かであり、実際にはさらなる成長を欲すれば新たなる周縁が必要になってくる。それを良しとするかどうかは政治的問題であるが、ある意味において世界の最先端を行っている日本社会においては特に、資本主義の矛盾を直視し、それによってこぼれ落ちた価値というものを再考していくことが必要になってくるであろう。

参考文献

C.ダグラス・ラミス(2004)『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』、平凡社

ポール・クルーグマン(2008)『格差はつくられた』、早川書房

水野和夫(2014)『資本主義の終焉と歴史の危機』、集英社

江戸方式を取り入れることによって改善しうる現代の生活様式

「結婚式」文化再考

2016年10月31日 

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現在、日本において一般的に認識されている「結婚式」という行事は挙式と披露宴という二つの部分によって構成されているが、私たちが当たり前と思っているこのようなかたちでの結婚式は、神前結婚式であれキリスト教結婚式であれ、この60年間ほどの間に浸透したものであり、遡っても100年ほどの歴史しか有していない。さらには70年代以降の高度経済成長期以降は、ブライダル産業と明確に結びついて消費社会の一形態に堕しはじめ、そのイニシエーションとしての儀式の聖性を失いかけていることがしばしば指摘される。

儀式としての本来の役割を十分に果たしていないという意味でいえば、七五三や成人式といった他の行事においてもそれは同様なのであるが、現代の結婚式の風習はそのような宗教的、儀式的意味合いだけでなく、経済的な合理性という観点からみてもその存在の必然性に疑問が残る。

現在のようにホテルや式場において結婚式が執り行われるようになったのは、60年代中頃(東京オリンピックが契機)であり、一般に広まったのは以降の高度経済成長期である。それ以前の戦後復興期は公民館や集会所といった公共の施設で披露宴が開かれ、参列者が運営を手伝ったり、料理を持ち寄ったりすることにより会が催されれていたが、ホテルや式場で開催されるようになるとサービスは会場側が提供するようになり参列者の手伝いが不要となった。そのかわり参列者は祝儀を持ち寄るようになるが、高度経済成長期は1万円以下であったその額も、バブル期になると3万円がひとつの基準として定着し、それは経済状況が悪化した現代にあってなお引き継がれている。

現代の結婚式のスタイルでは披露宴と二次会両方に参加した場合、一人4万円弱は最低でもかかり、さらに遠隔地に住んでいたりすると新幹線代が加算され、女性の場合さらに衣装代も必要となるため、一回で6万円以上かかっても不思議ではない。20代中頃となると結婚式の予定が立て続けに入ることも多く、就職して間もない現代の若者が支払うにはあまりに負担が大きい。 

また現代の結婚式の相場は全国平均で460万円、うち挙式・披露宴にかかる金額は352万円であるといい、主催者側からみても大変な負担である。祝儀を考えたとしても結婚式だけで平均100万円強の赤字になるといい、他の費用も考えると持ち出しは200万円以上となる。現代の若者がそれをすべて支払えるはずもなく、親からの援助は平均して150万円にのぼっているという。主催者と参加者双方にこれだけの負担を強いて現代の結婚式のスタイルは、それを行うことにどの程度必然性があるといえるのであろうか。

・日本の婚姻氏

以下では、現代の結婚式のあり方をより多角的に眺めるために、日本における婚姻史をもう少し詳しく紐解いてみたい。

日本における婚姻のあり方を少し遡ると、式場での結婚はおろか「結婚式」の概念自体、明治以降、近代になってから出来上がったものであることがわかる。それまでの江戸期では、<道具入れ・嫁入り・祝言>の三つの行事を合わせて<婚礼の儀礼>として定め、花嫁道具を運び(道具入れ)、花嫁が新郎家に移動し(嫁入り)、家に親戚縁者をもてなしてお披露目会(祝言)を行うだけで、儀礼的なかたちでの「式」というものは存在しなかった。それが明治期にはいると、キリスト教文化圏における結婚式の存在に影響されてか、皇族によって神前式というものが執り行われるようになり、それは新聞で全国に紹介されたことにより神前式の風習が一般の人にも普及していくこととなる。その後、第二次世界大戦が始まるまでの期間は、このような神前式のスタイルが続いていくのであるが、この時代の結婚は基本的に「家」同士の結婚であり、その準備も親がする時代であった。娘の幸せを願う花嫁両親の気持ちのあらわれとして婚礼の儀式は豪華絢爛に行われており、それが娘への愛情表現として認識されていたといえる。

しかしながら戦後になると、その経済的状況から結婚の儀式は控えめなものとなっただけでなく、特に都市部では住宅事情などの影響もあり自宅で祝言を挙げることが難しくなった。それゆえ会場は地域の公民館や集会所、料亭や旅館・ホテルを借りるようになり、自宅外での結婚式という文化はこの頃から定着し始める。

そして高度経済成長期にはいると先にものべたようなブライダル産業が興隆し、「立派なホテル・結婚式場での豪華な結婚式」と「幸せな花嫁、幸せな結婚」とが結びつけられるようになる。さらにバブル期にはいると結婚産業は消費社会の縮図と化し、ハデ婚、リゾート婚、海外挙式が登場し、城のような会場、巨大なケーキ、ドライアイスを使った入場、ゴンドラでの登場等々、式場はアミューズメントパーク化していく。(キリスト教様式が徐々に一般化していくのもこの時代であり、90年代にはいると神前式にかわって結婚式の主流となる。)バブル崩壊後は、95年のゼクシィの創刊もあって、これまでの式場主導のトコロテン式の結婚式ではなくて、当事者の二人主導の結婚式に変わってゆくかと思われたが、それもレストランウエディングというブライダル産業の一部門に回収され現代に至っている。

このようにしてみると、結婚式は時代状況や経済事情と深く結びついており常に世相を反映しているものであることがわかる。豪華な結婚式に行うこと自体は戦前にも行われてきたものであり、戦後に特異的なものであるとは言い難いが、それは高度経済成長期以降、特にバブル期からは明確なかたちでブライダル産業と結びついて消費を煽りつづけてきた。

現代においては、住宅も狭小化し、「イエ」制度自体も崩壊しつつあるため、江戸期や明治期のようなかつてのように、自宅で執り行う「イエ」同士の結婚というかたちには戻ることはできない。しかしながら、人口減少社会に突入し、経済活動も停滞気味で今後の成長も見込みにくい現代にあっては、現在のような消費の一形態としての「結婚式」のありようは見直しを迫られているともいえ、参加者が金銭を介さずしても新郎新婦を祝福できるような、互助的、互恵的なかたちでの結婚式のありようへと変化していってもいいのではないだろうか。

参考文献、HP

石井研士(2005)『結婚式 幸せを創る儀式』日本放送出版協会

三澤武彦「新 日本の結婚式の歴史」http://www.100nen-shuppan.com/kekkonshikinorekishi

「親ごころゼクシィ」 http://zexy.net/contents/oya/money/kiso.html

「All About マネー」 https://allabout.co.jp/gm/gc/12010/

 

 

以心伝心

2016/5/9

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 茶道の場でのコミュニケーションのあり方をみていると、現代社会で求められるそれのあり様とはまた異なる、別種のコミュニケーションが交わされているように思われる。 現代日本は西欧文化の影響を色濃く受け、生活のあり方もコミュニケーションの手法も明治以降とてつもないスピードで変化してきた。これまでの社会の集団主義的なあり方を見直し、西欧的な「人権思想」や「民主主義」を取り込んだ近代的な「個人」による市民社会を築こうとしてきた。現代の日本人をみても、たしかに個人の自由というものは尊ばれているし、自分の意見を主張することや、自らの意思によって他の人とは異なる独創的な試みをすることは一般的には「良い」行動であるとされている。 しかしながら明治以降250年近くたった今でも、実際には我々はそのような近代的な強い「個人」となることに対してどこか馴染めず、西洋的な意味での他者と切り離されたままで存在する特異な存在としての「私」というものになりきれないでいるように思う。そもそも日本語において「人間」というものが人の間にいるものであると定義されており、英語における「individual」(これ以上分けられない最小単位)や「identity」(自分の同一性)に対応するような言葉がなかったことをみても、他者から切り離されたままで存在する「私」=(I)というような意識は日本人にとってそれほど自明のものではなかったといえよう。それはおそらく、日本ではキリスト教における神との一対一の関係という伝統が見られなかったことにも起因するであろうが、いずれにせよ私たちは常に他者との関係のなかで自己を措定するのであり、自己と他者は常に完全には切り離せない関係にあるといえる。 このように日本においては西洋的な意味での個人主義というものを本当の意味で根付かせることは難しく、他者との関係や「場」というものが常に重要な意味を持つのであるが、残念なことに現代においては個人主義とは真逆の方向性である集団主義が、日本の「伝統」であるとして声高に叫ばれるような状況が散見される。空虚なナショナリズムの高揚や、社会的マイノリティの排除といった問題が「伝統」の名のもとに行われるような時代状況にあって、「伝統」というものが持つ意味について再考することはますます重要性を帯びてきているように思う。 私自身、茶道の経験はほとんどないが、僅かながらに茶道や坐禅の体験をした際には、不思議なほどに他者、あるいは自然と自分の身体が同期していくような印象を受ける。いくら言葉を尽くして他者と理解し合おうとしても、互いの立場の違いが明らかになるばかりで断絶が埋まらないことは多いが、茶席や坐禅会では多くを語らずとも、すっと他者と繋がれるようなところがあり、言語を介したコミュニケーションとは別の他者とのつながりの有り様に気づかされる。 国際化する時代状況にあって、自分の意思を積極的に他者に伝えるということが盛んに求められているが、西欧文化に盲目的に同調し根無し草とならないためにも、これからは「以心伝心」といった身体化された日本的なコミュニケーションの有り様を、近代的な「個人主義」や「人権思想」と共存させていくことが求められよう。「以心伝心」といった形のコミュニケーションのあり方は、多くを語らずとも他者と繋がりうる可能性というものを前提としており、その根本において相異なる他者との共生を目指す、人権思想や民主主義といった近代的価値と矛盾をきたしそうに思えるが、果たしてこれら両者を共存させることは可能なのであろうか。「以心伝心」と「多様性の尊重」という一見矛盾してみえる両者の間に、通ずる点や共存可能性は果たしてあるのであろうか。 以心伝心といった他者との繋がりの有り様を、辞書的な意味で理解したつもりになることはさほど難しくないであろうが、それでは「伝統」の一側面のみを拡大解釈して都合よく現代に当てはめるような態度へと繋がりかねない。国際社会においていかに相異なる他者と共存していくかということを考えていくためにも、「以心伝心」という「伝統」的な他者との繋がりの有り様の価値を問い直し、どう現代に生かしていきうるのかを観念的にではなく、自らその場に身を置くなかで考えていく必要があろう。