江戸方式を取り入れることによって改善しうる現代の生活様式

「結婚式」文化再考

2016年10月31日 

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現在、日本において一般的に認識されている「結婚式」という行事は挙式と披露宴という二つの部分によって構成されているが、私たちが当たり前と思っているこのようなかたちでの結婚式は、神前結婚式であれキリスト教結婚式であれ、この60年間ほどの間に浸透したものであり、遡っても100年ほどの歴史しか有していない。さらには70年代以降の高度経済成長期以降は、ブライダル産業と明確に結びついて消費社会の一形態に堕しはじめ、そのイニシエーションとしての儀式の聖性を失いかけていることがしばしば指摘される。

儀式としての本来の役割を十分に果たしていないという意味でいえば、七五三や成人式といった他の行事においてもそれは同様なのであるが、現代の結婚式の風習はそのような宗教的、儀式的意味合いだけでなく、経済的な合理性という観点からみてもその存在の必然性に疑問が残る。

現在のようにホテルや式場において結婚式が執り行われるようになったのは、60年代中頃(東京オリンピックが契機)であり、一般に広まったのは以降の高度経済成長期である。それ以前の戦後復興期は公民館や集会所といった公共の施設で披露宴が開かれ、参列者が運営を手伝ったり、料理を持ち寄ったりすることにより会が催されれていたが、ホテルや式場で開催されるようになるとサービスは会場側が提供するようになり参列者の手伝いが不要となった。そのかわり参列者は祝儀を持ち寄るようになるが、高度経済成長期は1万円以下であったその額も、バブル期になると3万円がひとつの基準として定着し、それは経済状況が悪化した現代にあってなお引き継がれている。

現代の結婚式のスタイルでは披露宴と二次会両方に参加した場合、一人4万円弱は最低でもかかり、さらに遠隔地に住んでいたりすると新幹線代が加算され、女性の場合さらに衣装代も必要となるため、一回で6万円以上かかっても不思議ではない。20代中頃となると結婚式の予定が立て続けに入ることも多く、就職して間もない現代の若者が支払うにはあまりに負担が大きい。 

また現代の結婚式の相場は全国平均で460万円、うち挙式・披露宴にかかる金額は352万円であるといい、主催者側からみても大変な負担である。祝儀を考えたとしても結婚式だけで平均100万円強の赤字になるといい、他の費用も考えると持ち出しは200万円以上となる。現代の若者がそれをすべて支払えるはずもなく、親からの援助は平均して150万円にのぼっているという。主催者と参加者双方にこれだけの負担を強いて現代の結婚式のスタイルは、それを行うことにどの程度必然性があるといえるのであろうか。

・日本の婚姻氏

以下では、現代の結婚式のあり方をより多角的に眺めるために、日本における婚姻史をもう少し詳しく紐解いてみたい。

日本における婚姻のあり方を少し遡ると、式場での結婚はおろか「結婚式」の概念自体、明治以降、近代になってから出来上がったものであることがわかる。それまでの江戸期では、<道具入れ・嫁入り・祝言>の三つの行事を合わせて<婚礼の儀礼>として定め、花嫁道具を運び(道具入れ)、花嫁が新郎家に移動し(嫁入り)、家に親戚縁者をもてなしてお披露目会(祝言)を行うだけで、儀礼的なかたちでの「式」というものは存在しなかった。それが明治期にはいると、キリスト教文化圏における結婚式の存在に影響されてか、皇族によって神前式というものが執り行われるようになり、それは新聞で全国に紹介されたことにより神前式の風習が一般の人にも普及していくこととなる。その後、第二次世界大戦が始まるまでの期間は、このような神前式のスタイルが続いていくのであるが、この時代の結婚は基本的に「家」同士の結婚であり、その準備も親がする時代であった。娘の幸せを願う花嫁両親の気持ちのあらわれとして婚礼の儀式は豪華絢爛に行われており、それが娘への愛情表現として認識されていたといえる。

しかしながら戦後になると、その経済的状況から結婚の儀式は控えめなものとなっただけでなく、特に都市部では住宅事情などの影響もあり自宅で祝言を挙げることが難しくなった。それゆえ会場は地域の公民館や集会所、料亭や旅館・ホテルを借りるようになり、自宅外での結婚式という文化はこの頃から定着し始める。

そして高度経済成長期にはいると先にものべたようなブライダル産業が興隆し、「立派なホテル・結婚式場での豪華な結婚式」と「幸せな花嫁、幸せな結婚」とが結びつけられるようになる。さらにバブル期にはいると結婚産業は消費社会の縮図と化し、ハデ婚、リゾート婚、海外挙式が登場し、城のような会場、巨大なケーキ、ドライアイスを使った入場、ゴンドラでの登場等々、式場はアミューズメントパーク化していく。(キリスト教様式が徐々に一般化していくのもこの時代であり、90年代にはいると神前式にかわって結婚式の主流となる。)バブル崩壊後は、95年のゼクシィの創刊もあって、これまでの式場主導のトコロテン式の結婚式ではなくて、当事者の二人主導の結婚式に変わってゆくかと思われたが、それもレストランウエディングというブライダル産業の一部門に回収され現代に至っている。

このようにしてみると、結婚式は時代状況や経済事情と深く結びついており常に世相を反映しているものであることがわかる。豪華な結婚式に行うこと自体は戦前にも行われてきたものであり、戦後に特異的なものであるとは言い難いが、それは高度経済成長期以降、特にバブル期からは明確なかたちでブライダル産業と結びついて消費を煽りつづけてきた。

現代においては、住宅も狭小化し、「イエ」制度自体も崩壊しつつあるため、江戸期や明治期のようなかつてのように、自宅で執り行う「イエ」同士の結婚というかたちには戻ることはできない。しかしながら、人口減少社会に突入し、経済活動も停滞気味で今後の成長も見込みにくい現代にあっては、現在のような消費の一形態としての「結婚式」のありようは見直しを迫られているともいえ、参加者が金銭を介さずしても新郎新婦を祝福できるような、互助的、互恵的なかたちでの結婚式のありようへと変化していってもいいのではないだろうか。

参考文献、HP

石井研士(2005)『結婚式 幸せを創る儀式』日本放送出版協会

三澤武彦「新 日本の結婚式の歴史」http://www.100nen-shuppan.com/kekkonshikinorekishi

「親ごころゼクシィ」 http://zexy.net/contents/oya/money/kiso.html

「All About マネー」 https://allabout.co.jp/gm/gc/12010/