森田真生「風景が育む情緒と学問」

  

近代西洋数学の始祖であるデカルトは、彼自身が整備した当時最先端の数学に、理性を正しく導くための「方法」の規範を見いだしました。とりわけ彼が重視したのが、記号を媒介にした代数的「計算」です。

一方、岡潔にとっては「計算」よりも遥かに重要な「方法」がありました。それは、全身心を挙げ、数学的対象と一つになって学ぶ、という「方法」です。対象を自分から切り離して分析するのではなく、対象と心通わせあって”習う”ーそれは岡潔が、道元芭蕉の思想や生き方から継承した「方法」でした。

そんな岡潔にとって数学は、命題の真偽を判定することである以上に、「わかった」という”心の喜び”を生み出すための行為だったのです。

岡潔も、かつては京都に暮らしていたことがありました。三高時代は「紅もゆる岡の花 早緑匂ふ岸の色」と、寮歌を口ずさみながら、散歩をするのが息抜きだったそうです。京都の風景に抱かれながら、岡潔の情緒と学問は育まれていったのです。

知識ばかりでは学問になりません。風景が情緒を育て、情緒がまた学問を育てていくのです。

京都新聞「ソフィア 京都新聞文化会議」より

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