最相葉月『セラピスト』

 
セラピスト
最相 葉月 新潮社  
・第一章 少年と箱庭 河合がとくに慎重になったのは、ユングの「象徴理論」についてである。箱庭を作り続けていると、ある程度似通った図柄が現れる。たとえばマンダラ表現がその一つで、自分の中の相反する感情を統合した自己のシンボルという意味をもつのだが、こういったことを初めから強調すると日本人にはうさんくさいと思われる危険性がある。p.31 木村が会場で見たのは、学校恐怖症(現在の不登校)や夜尿症、不注意や多動性、衝動性を特徴とする今でいうADHD(注意欠陥・多動性障害)の子どもたちのケースだった。注意力が散漫で学校でけんかばかりする小学生の男の子は、初めのうちは怪獣や動物が入り乱れる激しい戦闘場面ばかり作っていたが、回を重ねるうちん穏やかになり、土地を耕す風景を作ってカウンセラーのもとを去っていった。p.31 木村晴子 「夢分析箱庭療法を比べたとき、どちらのほうが深いかとよく議論になるんですが、夢のイメージはたしかに深いところで出てくるけど、相手に伝えるときに言葉にするでしょう。そうしないと語れませんからね。言葉にしたその時点で、削ぎ落とされてしまうものがある。だから、言葉にしないぶん箱庭のほうが深い。箱庭びいきにいわせるとね。」p.48 ・第五章 ボーン・セラピスト 絵や箱庭に表現されるだけで、なぜ言葉が引き出されるのか 「言葉は引き出されるんじゃないんですよ。言葉というものは、自ずからその段階に達すれば出てくるものなんです。引き出されるのではなくてね。五歳ぐらいまで一言も話さない子どもたちはよくいます。それは、言葉以前のものが満たされていないのに、言葉だけしゃべらせてもダメという意味です。言葉は無理矢理引き出したり、訓練したりする必要はなくて、それ以前のものが満たされたら自然にほとばしり出てきます。事実、私のケースはみなそうでした」p.163 ・逐語録(中) 「絵はメタファー、喩えを使えるのがよいと、以前おっしゃっていましたね」 「ソーシャル・ポエトリーといって、絵を描いていると、たとえば、この鳥は羽をあたためていますね、といったメタファーが現れます。普通の会話ではメタファーはない。絵画は言語を助ける喩え木のようなものなんですね。言語は因果律を秘めているでしょう。絵にはそれがないんです。だから治療に圧迫感がない。絵が治療しているというよりも、因果律のないものを語ることがかなりいいと思っています」 「因果律がないものを語るのがなぜいいのですか」 「因果関係をつくってしまうのはフィクションであり、ときに妄想に近づきます。そもそも人間の記憶力は思い出すたびに、不確かなところをじぶんでつくったもので埋めようとする傾向が有るので、それがもっぱら働き出すと思いつくものが次々とつながっていく。pp.180-181 症状が治まろうとするとき、医師やカウンセラーはクライエントから遠のいていく。面接の回数は減り、医師やカウンセラーの意識に占めるクライエントの割合も減少していく。もちろんその背景にあるのは、クライエントが回復に向かっているという安心感だ。 一方、クライエントの心に広がるのは孤独感である。周囲の人の同情も少なくなり、自分の責任が増してくる。症状がなくなったあとに訪れるものが、幸福であるとは限らない。不安が頭をもたげてくる。退院間近や、退院後のクライエントには、自殺のリスクが高まるという報告もあるが、そのためだろうか。p.312 ***