武藤章『アルヴァ・アアルト』

  彼は図書館における最大の問題は光の問題だと考えたのである。読書に没頭するためには完全に外界と壁でさえぎられた環境が必要であり、それに対していかに均等な光を供給するか。彼はその問題に悩みながら子供っぽい絵を落書し続けたのに違いない。 p.60 光に敏感なフィン人の彼は、いったい光をどうしようと考える。できるだけ光を沢山いれて中を明るくしたい。しかも読書を不快にするような影をなくして照度を一定にしたい。そのためには光源が沢山必要だ。そんなことを考えながら彼の落書が続いていく。そして、谷間の上に無数の太陽が照って山の側面を一杯に照らすというイメージが頭に浮かぶ。そして彼の造形能力がそれを真ん中の床が周囲より一段下り、天井の無数のトップライトが光を供給するような空間を紙の上につくりだしていく。この建物の中に入りこむ彼が無人称の人間であるならばその建築は機械的な機能主義の産物になろうが、アアルトの場合には、アアルトというフィン人がその彼であるところに違いがある。つまりその彼は人間の機能をもつロボットではなくて、フィン人らしく粗野で多感で、酒好きのアアルトであることが、彼のデザインする建物を人間臭くさせているのである。 p.62 夏、北欧の人びとは戸外で日光浴をする。われわれの夏はいろいろな方法を講じて直射日光を避けようとするが、彼らはでき得る限り直射日光を身体で受けとめる。冬の不足の分まで日光を吸収しようというのだろうが、彼らの肉体はわれわれより積極的な太陽に対する憧れをもっている。アアルトのいう"生物的な光"を投げるトップライトとはこの憧れの造形的な表現に違いない。それは冬の暗い毎日の中でひさびさに顔を出すあの太陽と同じ意味を彼らの生活の中でもっているのだ。とすると、無数の太陽の輝く空間ー彼らにとってこんなロマンティックな空間はあるだろうか。 p.63 ・ラウタタロ この空間は建物内部の空間だが、ここは喫茶店、商店にとりまかれ、町中の広場と同じパブリックな性格を備えている点に関しては全く外部的な性格をもっている。 p.129 アアルトの空間は北欧の過酷な自然に耐えてじっとうずくまっている。押さえつけようとする外的な力、それをはね返そうとする内的な生命的な力、この内外の力の重苦しい拮抗が彼のプラスティックな空間をつくっている。 p.146 外形においても、戦前、戦後で著しい変化がある。それは、戦前の彼の建築がすべてフラット・ルーフをもっているのに対して、戦後の初作品、セイナッツァロの役場以来、ほとんどは片流れの屋根で覆われているという点である。(中略)おそらく、直接の原因は戦後の復興期にフラット・ルーフの防水に必要なアスファルト材の輸入がされなかったからであろう。 p.179 もしわが国で行うように、外壁タイル張り仕上げではそのタイルの裏側で水蒸気が氷結してたちまちタイルは剥奪してしまうだろう。われわれの眼でタイル張りに見える北欧の建物は実はレンガ積みである。(中略)このような配慮からすると、そもそもフィンランドではアスファルトを使って防水するフラットルーフはむりな工法であることに間違いない。スラブに防水層を張りつけるのは外壁タイル張りと同じ結果を招くからである。 p.184 ・国民年金会館本館 この建物では、それまでの建物よりはるかに多くの種類の照明器具が用いられ空間を豊かにしている。そのほとんどは戦後のデザインである。戦前、アアルトはいくつかの照明器具をデザインしている。トゥルン・サノマにも見られるし、サナトリウム、図書館にも彼のデザインのランプは使われている。しかしそれは戦後の建物の中で再びもちいられることはなかった。ただ多少デザインを変えて使い続けられたのは、ヴィラ・マイレアに使われた”金の錫”という名のついている真鍮製のコードペンダントの器具だけだと言ってよい。p.196 戦後、彼の建築空間は次第に内向的になり、空間の有機的な体制がますます強固になるにつれ、彼の建築における照明器具の役割は単に光源の覆いではすまなくなってきた。もともと北欧の生活における人工照明のもつ意味は重要である。昼は短く、しかも天候の悪い冬の何ヶ月かは昼までも人工照明は必要である。そしてそれは空間を明るくするという意味で実用的な必要性をもつばかりでなく、心理的な意味でも陰鬱な冬の生活を明るくする大きな役割をもっている。(中略)北欧において人工照明を光源にするような照明方法がとられることがないのは、照明をただ明るさを得ればよいという考え方でとりあげるわけいにいかない北欧の生活の特殊性があるからだといっていよい。戦後のアアルトはこのことを認識し、ランプを彼の空間の有機的体制に積極的に参加させたのである。 p.196-197 たとえば、セイナッツァロの役場の議場においては窓からの光はごく抑えられて、高い天井から蜘蛛のようにぶら下がったいくつかのランプが、それぞれ高さの違った位置から床面を照らし、その何分の一かの光は天井のトラスを照らしている。そうすることによってこの井戸のように上下に深い空間を単調なものにせず、空間の彫りを深くしている。(中略)つまり彼の照明方法とは機能上、また空間像形上必要な部分に集中的に光を集めることによって、空間の陰影をはっきりつけるというやり方なのである。 p.197 ***