中井久夫『世に棲む患者』

  一般に「基地」を出て戻れないほど遠くに行かないほうが望ましい。たとえば、住み込み、寮なども、それが「基地」となりうるか否かを吟味せずに「とび込んでゆく」ことはすすめられない。 また「基地」からの、枝ののばし方自体も”非公式的”であるほうがよく、公式的なものに本人が固執したり、周囲がさせたりすることは望ましくない。少なくとも、いきなり「公式的な」場にとび込むには十分慎重である人のほうが世に棲みやすい。p.29 遠まわりのできる人のほうが長期的には収穫がしばしば多いのは、何も病気を経験したかしないかには関わらないだろうが、迂回できる能力の大きな力をやはり言っておくべきであろう。p.30 また、寛解後の達成を誇らないということも、重要であるようだ。たとえ、著書が出版され、作品が入選し、短期的に高額の収入を得ても、課長その他に昇進しても、どこか、そのことから超然としていることである。周囲の人にそのことを秘めている場合もあって、それはさらに一つの強みとなる。p.31 一般に、成功は危険なものである。病気を経験していようといまいと、失意の時よりもむしろ得意の時の方が精神的に不安定となりやすい。周囲も、さりげなく祝福するにとどめたほうがよい。p.31 些細な好意にも敏感である人が少なくないが、反面に押しつけがましさに対しては、拒絶できるか(中略)、そっと回避できるほうがよい。これは、一般的に、さらりとした対人関係をもち、人にふりまわされないことである。自らはめだたぬようにしながら対人関係を観察する機会をもつことは、かなり重要な意味のある体験である。 このように、のめりこまない良さは、仕事についても言えることで、仕事なり勉強を途中で切りあげて床につくことができる、といった「能力」は、つねにプラスに働く。p.31 患者の「動き」のパターンは、どこか、あとのことは考えずに(あるいは考えている余裕なしに)高山に、それも迂回せず、休息もとらないで、いわゆる「鉄砲登り」する人に似ている。あるいは、呼吸でいう「肺の死腔」がないといおうか「二重底がない」といおうか、とにかくエネルギーを最後まで使い尽くしてしまうような働きとなる。いつも”火事場の力”を出しているようである。単純作業ですら能率がうなぎ上りになることがあるが、これは挫折、放棄、時には再発の前兆である。p.55 患者に背水の陣を敷くように脅かさないことである。(中略)「背水の陣」でなく「逆櫓の構え」が患者の精神健康に必要である。つねに、就職の「実験的性格」を患者にも家族にも強調し、家族の前で「合わぬと感じたらすぐやめるのがよい」「それで実験のデータが一つ得られた。実験は成功です」「世間への義理は私があずかっておこう」と言うのが習わしでわる。p.63 ***