綾屋紗月、熊谷晋一郎『つながりの作法 同じでもなく違うでもなく』

  当事者研究の可能性 向谷地が整理した当事者研究の具体的な手順 ①〈問題〉と人との切り離し作業を行うことで、「〈問題を抱える自分〉を離れた場所から眺める自分」という二重性を確保する。 ②仲間と共に、自分の苦労の特徴を語り合うなかで、医学的な病名ではなく、自分の苦労の内実を反映した自己病名をつけていく。 ③苦労の規則性や反復の構造を明らかにし、起きている〈問題〉の「可能性」や「意味」を共有する。 ④自分の助け方や守り方の具体的な方法を考え、場面を作って練習する。 ⑤結果の検証と研究成果のデータベース化 pp.123-124 ・つながりの作法 周りの人の顔色をうかがったり、場にふさわしいだろうかなどと、空気を読もうと探索することばかりに心的エネルギーをつぎ込んでしまうあまり、自分に偽りのない言葉を自分が話しているかどうかのモニターが、おろそかになってしまうこともしばしばだ。自分の言葉のアウトプットよりも、聞き手の情報をインプットすることに意識が向いてしまっているのである。その結果、自分の言おうとしていることから言葉がどんどん離れていってしまい、いつのまにやら、私は何を話していたんだろうというところに持っていかれてしまう。p.142 一方、理想的な「言いっぱなし聞きっぱなし」空間が成立した際、語り手は自分の語りに対する他者の反応に気を払わずに済み、自分の語りが正確に自分の体験(一次データ)を表現しているかに集中できている。語り手は外界に意識を向けず、自分のなかにある体験の記憶だけに集中している。このときの綾屋は自分を外から眺めているとは感じず、自分の内側にいながら、内側の自分の記憶や感覚を探っていると感じていた。よって、自己と外界の境界線である「『私』の輪郭」は視界に見えていない。つまり客体としての「私」はその場におらず、「思い出し、感じ、語り、聞く」主体としての「わたし」のみになっている。この「わたしが話すのを聞く」とでもいうべき閉じた《知覚・運動ループ》は、ほとんど個に閉じこもった密室に近いが、声はその場の空気を振動させて他者へと届くため、公共性を併せ持っている。このようにして、安全な密室の中で「わたし」を立ち上げつつ、外界とも情報交換できる条件が整うのである。pp.145-146 「縦の笑い」は、優越感から生じる「嘲笑(ちょうしょう)」や権力の弱い者が強い者を皮肉る「風刺」。これに対して、「横の笑い」は「あんたもやっぱりそうか」という仲間同士の共感です。成熟した社会では「横の笑い」が増える。人間共通の弱さ、悪、ずるさを認めた上で「自らを笑う」。自分の姿を、もうひとりの自分が、離れた所から眺める。客観視する。 落語家 桂文珍(二〇〇八年一月五日読売新聞東京本社朝刊より) p.172 ***