村上隆『芸術起業論』

 

・芸術には開国が必要である

天才が空白状態の中で作るものは歴史をガラリと変える可能性があるのですけれども、水準が高すぎたり時代の先に行きすぎたりしているために、リアルタイムでは正当な評価を受けられないかもしれないのです。

様々なしかけを組みこんで、現在の人や社会とコミュニケーションするべきか。

偶然に作っちゃったもので、未来の人や社会とコミュニケーションするべきか。

このあたりは考えるほど矛盾に満ちた世界が広がっているのです。

そもそも芸術表現の世界は矛盾で満ちています。

しかけのある作品でないとなかなか認められないという美術界の構造はおそらく天才でない大半の芸術家のために生まれたのだと思います。歴史や民俗を取り込んだ作品制作はあざといということでしょうが、凡人には必要な試行の過程なのです。pp.104-105

本場のアートシーンでスポットライトを浴びるようになった今も、違和感はあるのです。

「本来の意味の芸術は、ルールの中におさまるはずがないのではないか」

「芸術は一般社会にビジネスとして着地なんてしないものではないか」

幼少の頃からの直感が頭をもたげるのですが、理解不能な突飛な芸術ならば西洋に受けいれられないことは事実として横たわっている。

「欧米の美術史の文脈に絡めた洗練された商品」としての芸術こそが欧米では尊重されているのですから。p.117

・芸術の価値を生みだす訓練

作品を意味づけるために芸術の世界でやることは、決まっています。

世界共通のルールというものがあるのです。

「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」

これだけです。p.140

①自分の興味のある表現分野を探し、その分野の歴史を徹底的に学ぶ。

②その分野に興味を持ちはじめた理由を探す。興味の源泉は肯定的なものだけではないから理由を探すとかならず行き止まりになるが、それでも原因を究明する。

③究明し終わるとそれが本当に自分の興味のある分野かどうかあやうくなっているので、自分の興味のある表現分野がどこにあるのかを何度も検証し直す。

④興味の検証を終えて歴史を徹底的に学ぶと、宝島に行くための地図が見えてくる。

⑤地図を解析する勉強に励み、資金を整えて、いざ宝島に出かける航海をはじめる。p.168

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村上さんの歴史、コンテクストを重視する態度は、あざといとかビジネスライクとかいった印象を与えがちなのだけれど、おそらくは自分が「凡人である」ということを前提としたうえでいかに芸術分野で生き残っていくかを考えた結果、行き着いたサバイブの手法なんだろう。天才が空白の中から歴史を変えるものを作ることがあることは重々承知した上で、凡人である自分は戦略的にしかけを作っていくことでしか生き残ることができないというある種諦めにも似た道化的な態度は、「ウケ狙い」とか「ビジネスライク」とかいう言葉では済ますことができない何かがあるように思う。

ただ村上さんのサバイブの努力の過程にはものすごい迫力があることは認める一方、そのような様々なしかけを戦略的に組み込んだ作品が、彼のいう「救済」の役割を本当に担えるのかということは疑問に残った。作品が作家の欲望の発露であることを否定せず、社会に接続するための戦略を練り、その戦略に沿って超人的な努力をすることによって成功をおさめることがアーティストの理想的態度とするのならば、少なくとも自分はそのようなアーティストの創る作品に触れられなくてもいいし、現代アートの界隈のみにおいて適用されるルールの範囲内でゲームを競ってもらってくれればそれでいいと感じる。

個人的欲望の発露としての表現、そしてその表現を社会と接続するための巧妙な戦略の構築、そして超人的努力によって個人的成功へ、という構図があまりに所謂「建築家」の態度と共通していて驚かされてしまった。