「作家性と批評性について」(早天祈祷会原稿)

  

 今日は自分が建築を設計するうえで考えることの多かった作家性と批評性についての話をしたい。絵画でも音楽でも文学でも映画でも作家つまり創造する人の他に、多くの場合において批評する人が専門家として存在する。現代だとネット上で作品について「批評」している例をいくらでも見ることができるが、素人では到底叶わないレベルでその作品についての的確に評価し的確に批評できる専門家というものが大抵どこの世界でも存在する。ただこと建築界においては、他人の建築作品についての批評を批評の専門家ではなく建築家がすることがほとんどであるという点において他の分野と大きく異なっている。また批評される相手が他の建築家でもあるだけでなく、自分自身の作品の魅力を伝えるのは自分自身であるという点においても他の分野と大きく異なっている。文学者や音楽家、絵描きは自分の作品がどのような点において優れており、また歴史的にどのような立ち位置にあるのかについて自分自身でプレゼンテーションすることは少ない。自分の作品の評価や批評はもっぱら他の目利きに任せており、作家自身も自分の作品について言語化することが難しいということは往々にしてありえる。そのような点において、自らの作品の優れている点や歴史的な立ち位置について自らプレゼンテーションし、作品を提示する時点で批評性を内包させていることが求められる建築という分野は他の分野と質を異にしているということは明らかだと思う。そのことについて少し考えたことを今日は話したい。

 内田樹村上春樹について書かれたエッセイの中で、村上春樹中央公論社の担当編集者であった安原顕との間におきた事件が紹介されている。この事件とはかつては村上春樹を「自分が育てた」といっていた安原顕が、ある日を境に村上春樹を徹底的に罵倒するようになり、さらには病気で死を目前に控えた時点で村上春樹の自筆原稿を古書店に売り払ったという事件である。この豹変ぶりについて村上春樹自身は、その原因が安原自身の自己の作家的才能についての評価誤差にあるのではないかと推測しているようである。安原自身も小説を書いており、生涯を通して求めていたことは小説家になることであったが、実際には彼の小説が賞を取ることもなかったし、広く一般の読者の注目を引くこともなかった。編集者として数多くの作家の作品を扱い、「これくらいのものなら、俺にだって書ける」という思いを抱くこともあったであろうに、実際には「これくらいのもの」をついぞ書くことが出来ず、彼は小説家として日の目を見ることなかった。彼自身の作家的才能に対する自己評価と他者評価の分裂と、村上春樹に対する憎悪の感情は無関係ではないだろうし、その憎悪は作家の直筆原稿ただの換金商品として古書店に売りつけるという行為に繋がったのだろうと推測される。

 さて、その作家的才能というものについて内田樹は以下のように説明する。

『「眼高手低」という。創造よりも批評に傾く人は、クリエーターとしてたいした仕事はできない。これはほんとうである。(中略)「作家的才能」とはそういうものである。努力とか勉強とかでどうこうなるものではない。人間の種類が違うのである。作家と編集者の間には上下の格差や階層差があるわけではない。能力の種類にちがいがあるだけである。けれどもこれを人間的資質の差や才能の差だと思う人がいる。』

内田樹村上春樹にご用心』pp.164-165

 ここで内田樹は作家と批評家というものをかなりはっきりと図式的に分けており、そこには上下の差があるものではなく、能力の違いがあるだけであると言っている。作家と批評家は、もともと別の人種であって、持っている能力もそれぞれに託されている使命も全くもって異なっているという。ここでの作家は当然、詩人とか小説家を指しているのだと思われるが、ヴァレリーとか吉本隆明とかの例外はあるにせよ、確かに著名な詩人かつ批評家というのはあまり例がないし、絵画や音楽においてもそうであろう。「まず文学理論があって、それから小説を書き出すとどんなものができあがるか知りたいひとはモーリス・ブランショの小説を読めばよい」と内田樹は言うが、批評の天才を持つものでも実際に作家としてはたいした仕事をすることができなかったという例はごまんとあるのだろう。

 村上春樹でも宮崎駿でもモーツァルトでもゴッホでもいいのだけれど、確かに作家として大成した人は多くの場合において自身の作品についてあれこれ語りたがらないし、他の作家についてあれこれ批評をしている様子をみることも少ない。その逆に批評の名手が作家としても大成したという例も極めて少ない。ただその図式があまりあてはまらないのが建築という分野であり、そこに建築という分野の特殊性があるのではないかと思う。

 

 建築設計では、建物が建ってから徐々に評価が落ち着いていくという面もあるが、基本的にはコンペなど計画時にある程度はその建物の優れている点や歴史的位置づけというものを対外的にアピールしないといけない。いかに優れた建物であろうと、施主や審査員にその計画案の素晴らしさが理解されなければ実現に至らないし、「他者評価についてあれこれ考えずにまず作品を投げてみる」ということが他の分野と比較して特に難しい分野であると思われる。絵画や音楽において自分の作品がいかに優れているかを説明することは野暮であるばかりか、作家ですらもその作品の素晴らしさを表現する言語を持たないことが多い。そのような言語を持たないからこそ、絵画や音楽を通じて表現するわけであるが、建築においては模型や図面を通して表現すると同時に、提案する時点で自身の建築作品について言語を通じても説明する必要がある。作家性と自己批評性を両方担保することが建築家に求められていることであり、これがどちらも十分なレベルに達しているということは非常に難しい。

 内田樹が小説について述べている例と同じように、建築においても作家性と自己批評性というのは多くの場合においてトレードオフの関係にある。作家性が強い人は多くの場合においてその建築の形態では人を惹き付けるが、逆に自身の建築や思想について言語表現したり、批評することによって相手を納得させることを苦手とする。逆に批評が得意な人は、自身の建築や設計思想について言語表現して相手に納得してもらうことを得意とするが、多くの場合において形態や絵などの表現に説得力を持たせることを苦手とする。

 建築家はこれがどちらもある程度にはできないといけないわけであるが、どちらの能力も卓越している人は本当に一握りであり、著名な建築家であってもほとんどがそのどちらかに偏っている。作家性と自己批評性がどちらもずば抜けている建築家といったらコルビュジエただひとりなのではないかとすら思わされる。

 旧帝大工学部出身の批評が上手い建築家らは、往々にしてその作家性のような部分に対しては芸大出身の建築家らなどと比較すると多くの人が物足りなさを感じたりするのであるが、やはり基本的には内田樹の言うように、作家性と批評性というのはトレードオフの関係にあり、どちらかが抜群に卓越していたら、どちらかが欠落していることがほとんどである。多くの人はそのどちらもそこそこにバランスが取れている、もしくはどちらかに比重が寄っているくらいで、あまりに大きな能力的偏りがあると認められにくいということがこの分野の特徴かもしれない。

 以上のことが、作家性と批評性について文学や音楽や絵画といった分野と、建築の分野で大きく異なる点だと考える。このように建築が作家と批評家に分離されにくく、一人の建築家に作家性と批評家性両方を有していることが求められるのは、提案時に自己の建築の優れている点についてプレゼンテーションしなければならないという部分もあるが、その批評自体が設計の実務経験を有していなければそもそも批評できないという部分もかなりあるのではないかと思う。このような建築の分野の総合性は、あまりに大きな偏りを許さないとも言えるし、違う言い方をすれば人間の総合的なバランスが要求されるとも言える。東大が建築の分野において常に日本の建築界をリードしてきたのも、実務的な能力が高く、人間的な偏りが少なく、総合的なバランス感覚に優れていたという点が大きいのではないかと思う。

 ここまでは芸術分野において作家と批評家は切り離されるが建築分野においては多くの場合において作家であることと批評家であることを両立することが求められるということについて述べてきたが、最後にプレーヤーであることと批評家であることの違いについて考えたい。多くの場合において、作家が批評家の上位におかれ、作家的才能が批評的才能よりもよいものだと見られがちであるのは、作家のほうが多くの人に評価の対象とされるプレーヤーとしての側面が強いからだと考える。成功したサッカー評論家よりも成功したサッカー選手のほうを多くの人が評価するように、プレーヤーは絶えず評価にさらされながら、リスクを背負ってプレイし続けているので、それを安全圏で見て批評する立場の人よりも高い評価になるということはある程度納得できる。批評する側だって評価とは無関係でないけれど、プレーヤーほどには評価に曝されつづけることは少ない。

 設計でも研究でもそうだけれど、批評が上手い人がプレーヤーとしても成功するとは限らない。どれだけ頭が良くて批評が上手くてもプレーヤーとして成功するにはリスクを伴う。そのプレイヤー的才能のことを寺田寅彦が「科学者とあたま」というエッセイのなかで「あたまの悪さ」という表現を使って興味深いことを言っている。

 この中で寺田寅彦は「頭のいい人は批評家には適するが、行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴うからである。」と言っており、科学者は頭がよくないといけない一方で、普通の頭の悪い人より一層頭が悪い朴念仁であり田舎者でなくてはならないと研究におけるあたまの悪さの重要性を強調している。科学者になるためには批評家的な頭のよさとを持っていることも大切だが、少々先行きが見えなくても、リスクが高くても危険を引き受けて自然というものの中に飛び込んでいくということが寺田寅彦のいう「頭の悪さ」であって、これはたしかに頭がいい一方では難しいことだろうと思う。的確な批評をする人がプレーヤーとして成功するとは限らないというのは、どの分野でも共通することであろうが、批評的であると同時にプレイヤーであることは、前回言ったように相反する二つの要素のバランスをとっていくこと、また対象を相対化すると同時にコミットすることとも繋がってくるのではないかと思う。