河合隼雄『ケルトを巡る旅 神話と伝説の地』2010

    

イギリス、ブリストル大学ハットン教授とのドルイド(ケルト社会における祭司)に関する対話(pp.144-147)

河合「現代では、科学と技術が圧倒的になりました。ナバホを訪れた際、特に若い世代が外からの影響を受け、伝統からまったく切り離されているのを見て残念に思いました。あなたの行動はとても意義があると感じますが、科学技術や理論に逆行する奇妙な行動だという意見もあると思いますが。」

H 「バランスの問題だと思います。ある意味ではナバホの若い世代は正しくて、それは伝統=貧困・無知となり、そういった人々が社会の下層を成していたからです。若い世代が望むのは権力やお金、社会での地位です。だから、ナバホの若い世代も、職と住むところを得られれば、伝統に回帰すると思います。現代のドルイドも、二つの面を持っています。普段は裕福な生活を送る人が、週末だけ質素な生活に戻り、健全であろうと努めるのです。」

河合「そこに矛盾は生じないのですか。」

H 「ありません。ドルイドポストモダニズムに立脚しているので、現代工業社会の恩恵を否定しないのです。」

河合「本来、人間は土地や自然との結びつきが強く、科学を生み出す必要はなかった。歴史上、キリスト教国だけが科学技術を生み出し、日本はそれを真似したために矛盾を抱えています。いわば、男性の理論と女性の理論との矛盾です。この矛盾をどのように解決すればいいのでしょうか。」

H 「こんにち、人と自然の関係は中世と逆転しました。かつては自然は強大かつミステリアスで、疫病や飢饉に人々は悩み、自然をなだめようとした。いまは逆に人間の強さゆえに自然が駆逐され、自然は保護すべきものになったのです。」

河合「自然に強く結びつきすぎると、科学という発想は生まれません。科学が生まれるためには、自然から脱却し、客観的に観察する必要があります。日本人の考え方は自然に根ざしたものが多いので、自然と一体感を持ったまま観察や操作を行ったために、矛盾が生じたのです。」

H 「それは古典的な問題です。古代のアイルランドやイギリスの伝説には、すでにそういった緊張関係が存在しています。そこには、大地、海、山の神が登場しますが、ほとんどの神々は人として機能しています。たとえばアイルランド最高神リューフは、詩人で鍛冶屋、戦士、預言者でもあった。つまり人であり、自然そのものではありませんでした。ドルイドは自然と人間の双方に立脚しています。これは永遠のテーマだと言えるでしょう。」

河合「人間は矛盾を抱えているべきだと思います。矛盾がなければ生きているとは言えないと言ってもいいでしょう。矛盾との闘い、矛盾を抱え続ける努力が、人間には必要です。自然と科学技術、どちらも重要でしょう。日本人は土地に、より強く結びついており、西洋のように対話することなく黙って土地と共存しています。」

H 「ドルイドの考える一体感(unity)、単一性(oneness)はもう少し複雑で、多様性を超えたところに単一性があると考えます。共存、尊敬という考え方は理解できますが、たったひとつの方法しかないというのには疑問を持ちます。 ドルイドの儀式が様々で、変化するのもそのためです。私たちは最良の方法を探して、古代アジア、古代ギリシャ古代ローマネイティブ・アメリカン、オーストラリアからの要素も取り入れてきました。 ドルイドをひとつの国の宗教と呼ぶことはできません。様々なつながりの一部なのです。」

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