西野博之『居場所のちから 生きてるだけですごいんだ』

  

 あの当時、登校拒否といわれた学校に行かない(行けない)子どもとその親に対する世間の目は、きわめて厳しかった。ズル(怠け)、甘え、逃げといった考え方が主流だった。精神的に弱い子どもたち、厳しい訓練に寄ってなんとか根性を鍛え直さなければいけないという考え方がはばをきかせていた。一九七〇年代くらいから、宿泊治療型の矯正施設のようなところが日本各地につくられ始めていた。そんななかで、戸塚ヨットスクール事件を筆頭に、不動塾事件、風の子学園事件などがつづき、尊い子どものいのちが奪われていった。 p.19

 当初、学校に行かないのは、「病気」によるものか、「怠け」であるという論調が主流であった。無理やり精神病院に入院させられたり、縄でしばって強引に車に乗せられて学校に連れて行かれたり。親や教師の無理解によって、子どもたちがさんざんに苦しめられ、追いつめられていった時代でもあった。周囲のおとなから「ダメな子」だというレッテルを貼られ、すっかり自信を失った子どもたちのなかには、自分のいのちを絶とうとしたり、将来を悲観した親によって無理心中にまきこまれそうになったり。家庭のなかでさえ、「そのままのあなたでいいよ。生きていていいんだよ」というメッセージが受けとれずに苦しんでいた子どもたちが、自らの行き場(生き場)を求めて、神奈川県内はもとより、東京・埼玉・千葉・栃木からも集まってきた。 p.28

いままで誰かが決めたプログラムを、小さいときからただひたすら「こなす」ことを要求されて育ってきた子どもたち。いや、「こなす」だけはダメ。教師や親から”評価”されるようにこなさなければならない。その過程で、いやというほど自信をそぎ落とされてきた子どもや若者にたくさん出会ってきた。p.32

「フリースペース」という言葉にこれといった定義があるわけではないのだが、おおざっぱにいって「フリースクール」が従来の学校とは異なるオルタナティブな学びの場をめざしていたのに対し、「フリースペース」はまずもって「居場所」であることを意識した場づくりであるといえる。 p.52

何もしない、ただ時間をムダにしているかのようにボーっと過ごしているときに、気づきやひらめきに至ることがある。しっかりと休息し、充電することで力を蓄えることが、次の活力につながることもある。それまで、他者からの評価ばかりを気にして「何かをやらなければ」と、むりを重ねてきた子どもが少なくない。何もしない、そのことによってマイナスの評価を受けないということが、ちゃんと保証されることが大きな意味をもっているのだと、場をつくりながら気づかされてきた。 p.56

わたしはやっぱり自分のプラスになるように生きていたい。わたしは学校に行くことが自分にとってマイナス面が強いと感じたから行かなくなったのです。だからプラス面が多いと思う人は行けばいいし、そうでないひとは行かなければいい。ただし、自分が選択したことの後始末は自分でするべきです。そこから逃げたり、自分がやったことの失敗を他人のせいにしたりするのは、ズルというもんでしょう。 p.62

「居場所づくり」といったときにもっとも大事なものはなんなのか。そのことをようやく確認できるようになった。はじめのころは「居場所」といったときに最初に頭に浮かぶのは、ほっと安心できる空間だった。しかし「たまりば」での活動を通じて思うことは、物理的空間としての「場」の条件は二の次だということがわかってきた。快適に過ごせるスペースよりも大事なこと。それは、「どんな思いで、どんなまなざしをもったひとがそこに居つづけるのか」ということ。(中略)つねに、自分自身のなかにある問題に目を向けながら場にかかわりつづける存在。(中略)たとえ、スペースはなくても、その「存在」のまわりに、その関係性のなかに「居場所」はできあがるのだ。p.106-107

そして、万策つきたら「だ・も・ど」と、そっとつぶやいてみよう。「だーってしょうがないじゃん」「もーうすんだこと」「どーっちだっていいじゃん」。これはわたしたちNPO法人「フリースペースたまりば」の理事であり、いつも力強い味方である教育評論家の斎藤次郎さんが生み出した不思議な呪文だ。むずかしい問題が目の前に現れて行く手をふさいだときに、これをそっと唱える。すると、なぜか肩の力が軽くなってくるから不思議だ。p.192

もともと、ひととひとが行きあう暮らしというのは、こういうことだったのではないだろうか。わたしがなんとかしなくちゃとジタバタせずに、そこにいる一人ひとりの存在とそのひとがもつ力に、根拠のない信頼をよせる。そうすると、その安心感のなかで場の空気が変わり、こちらが楽になれると実感するときがある。まさに「場のちから」と呼ぶにふさわしい一幕なのだ。p.199

***