隈研吾、三浦展『三低主義』

   

三浦 安藤忠雄さんは一見男根的に見えないところがかえって罪です。安藤さんも磯崎新さんも結局はコルビュジエが原点なんで、それでやはり革命好きなんでしょ?このへんも、団塊世代以降の隈さんや私とは本質的に違う所なんじゃないか。建築で革命なんてねえ、ちょっと今は信じられないはずなんですが。しかし革命家だから古い物はぶっ壊して、新しい物を作ろうとするわけです。コルビュジエが夢想したのは前近代的ヨーロッパの「超克」でしょう?

隈 (中略)あそこまで喜劇的なほどに男根的なのは、やっぱりそのプロフェッションの本質が男根的なんじゃないかなという気もするし、だとしたらそうじゃない三浦さん的な人が都市計画、都市に関わるとしたらどうなるかということを僕は聞いてみたいな。僕はけっこう女性的で、すごく受け身の人間なんですよ。設計するときもとっても受け身で、クライアントの話をいろいろ聞いているうちに、ゆっくりゆっくり自分が何をやればいいのかが見えてくる。

(若者が旅をしなくなった話をうけて)

隈 今の移動って、結局、犬がおしっこをして匂いをつける行為のような気がするんだな、単に動くということじゃなくて、お釈迦様の手じゃないけど、底がちゃんと抜けてない社会の中ではスタティックな秩序から逸脱することが大事だったけど、今はそういう意味で完全に底が抜けちゃっているから、自分の匂いをつけないと、単に動いているだけだといよいよ不安なわけですよね。そういう匂いのつけ方は、修業しないと身につかないから、若者はうかつに移動しようとはしなくなってきてる。

昔、上野千鶴子さんと話したとき、「隈君、建築家は新しいプランとか、脱nLDKとかかっこいいことをいうけれど、若くて元気なやつはどんなプランでも住みこなせるんだsから、そんなものを実験とか社会への新しい提案なんて言ってほしくない」とおしかりを受けた。上野さんの言ったこと、本当だと思う。今、いよいよ思う。年をとったり具合が悪くなったりした人が気持よく住めるためにこそ、僕らは頭を使い、人々を巻き込んで社会を動かすべきなんだよね。(中略)住宅は住宅、福祉は福祉と別々に考える時代じゃなくて、これからはハードもソフトも含めて、住宅と福祉を一緒に考えなきゃいけない。「住宅は住むための機械だ」という二〇世紀のはじめのコルビュジエの宣言に対して、これからは住宅は福祉の別名だって再定義すべきで、住むって、生きることじゃなくて、弱ること、死ぬことなんだって再定義がいる。僕は弱ることとか死ぬこと、住むことのかかわりから都市とかコミュニティとかを考え直してみたい。死ぬための街、弱い人が幸せに暮らせる街に再編成する知恵とプロデュース力が建築家に求められているんだと思う。 p.216

あとがきより

戦後建築家第一世代

1913年生まれの丹下健三に代表される

1960年代の高度成長期と自らの人生の壮年期がぴったりと一致し、驚異的な経済成長と輝かしい工業化を象徴するようなモニュメンタルな建築

第二世代

1928年生まれの槇文彦と、1931年生まれの磯崎新、1934年生まれの黒川記章

一言で言えば第一世代の修正

第三世代

1941年生の安藤忠雄、伊藤豊男が代表

70年代のカウンターカルチャー 反近代主義

安藤 男性的でマッチョ 裸のままのコンクリート打ちっぱなし

伊藤 女性的でフェミニン 軽やかでスケスケのエキスパンドメタルやパンチングメタル

第四世代

1956年生の妹島和世や1957年生の坂茂や1954年生まれの隈研吾

つるつるピカピカで工業社会的、三高的な建築への反感

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死ぬための街、弱い人が幸せに暮らせる街。

住むということは弱ることであり、死ぬことである。

ある人が生まれてから死ぬまでの過程で、必ず弱っていくのだけれど、それに寄り添える住宅や都市のあり方。