河合隼雄『ナバホへの旅 たましいの風景』

  

ジェームズさん(ナバホのメディスンマン)は祈りや儀式のたびに、変性意識状態になるわけだから、儀式の後でひどく疲れるようなことはないかと質問してみる。ジェームズさんは、「確かに疲れるけれど、自分が癒しているのではないので、それほどは疲れない」と答える。それでは誰が癒し癒しの仕事をするのか。それは「聖なる人」の仕事であり、ジェームズさんは、ただ呼び出しているだけなのだと言う。祈っても「聖なる人」が来ないことはないかと訊くと、「必ず来る」との答えだった。

私は心理療法をはじめた若い頃、どうしても自分が役に立ちたい、自分の力で治したい、という気持ちがあって、そのために、自分が病気になるのではないか、と思うほど疲れたが、そのうちに、「私の力」で治すのではないことが実感されてきた。もっと大きい力によって治ってゆくことがわかるようになったので、あまり疲れなくなった。これは似たような体験と言えるだろう。 p.80

人間は自分が有限の存在であることを忘れてはならない。しかし、白人の欲望は無限だ。ナバホは、物事を抱き寄せる。そして皆で分けることが大切と思うが、白人は独占的に所有し管理する。それのみならず、白人はいつも「私が正しい」と言う。彼らの「正しい流儀で押しまくってくる」。(ジェームズさん談) p.82

精神分裂病とたましいということでなにか参考になることが聞けるかと思ったのである。これに対するアルフレッドさん(ナバボの医師)の答えは明快!である。「本人がほんとうに治ろうとするなら」治る、と言うのだ。(中略)われわれは、シャーマニズムを成立させるための共同幻想を喪失してしまっている。私が「誰もが共通に信じる世界をもたないわれわれは、個人個人がスピリットの存在に気づくのを待つしかないのだ」と答えると、彼はよくわかってくれた。根本は信じる(believe in)ことだし、それは待つしかないのも事実だと言って、自分の体験を語ってくれた。 p.115

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