内山節『新・幸福論 「近現代」の次に来るもの』

そういう時代(戦時中)を過ごした人々は、戦後に「軍部にだまされた」と語るようになった。確かに戦時中には報道の自由もなかったし、言論の自由もなかった。だが本当に一軍部にだまされた」のだろうか。むしろ戦中的イメージの世界に包まれながら、多くの人たちは自分の身を守ろうとしていたのではなかったか。そうでなければ戦後のあの変わり身の早さは理解できない。「一夜にして誰もが民主主義者になった」と言われたような変化が、本当に起こったのである。大事なのは自分の身を守ることだった。だから帰還した兵士たちのなかで、戦地の残虐さを語る者は少なかった。それを語ってしまえば自分の身があやうくなるからである。そして誰もが軍部にだまされたことにして、自分を被害者の席においた。それもまたひとつの自己保身である。 p.43

結び合う社会からはなれた個人という人間たちの登場が、「人々」を誕生させたのである。個人は自己認識としては唯一無二の人間、この世にたった一人しかいない貴重な人間であるが、社会構造のなかでは「人々」として存在する。そしてこのくい違いが、人々に所在なさを与えることになった。 p.72

国家や社会、経済や企業などのなかでは、自己が自己として扱われないのであれば、私たちは冷めた感覚で国家や社会、この経済社会をながめるだろう。自己保身のためには、それらを承認するふりをするかもしれない。しかし、その価値を信じてはいないだろう。どことなく、どうでもいいものなのである。国家や社会の側が自分をどうでもいいものとして扱うのなら、自分にとっても国家や社会がどうでもいいものになる。そういう虚無的な関係が自己と国家、社会、経済、企業との間につくられる。そうである以上、近現代という時代は、根源的な不信感を内包しながら展開することになる。根源的には国家や社会も経済や企業も人間たちを統治することができず、人間たちは本気でそれらに従おうとしない。そういうものを内部にもちながら、社会は動いていくことになる。 p.76

一九七〇年代、一九八〇年代は、そのむなしさが感じられていった時代なのであろう。それゆえに旧来型の社会運動は退潮の時代を迎える。労働組合運動も、学生運動も、旧来型の市民運動も衰弱の歴史をたどった。とともに「人々」でしかないことへの虚無感は、「自分探し」的心情をも高めていくことになった。(中略)「私は誰?ここは何処?」というようなシナリオの演劇が若者たちの間ではやり、他方では若者の無気力などがマスコミでも議論されていくようになる。

それはある種の退廃でもあった。だが重要なのは、その退廃が「人々」としてしか生きることのできない社会への虚無感を背後においた退廃だったことをみておくことだ。

だからこの時代には、他方では「人々」として生きるのではない確かな関係をつくりだそうとする模索も、水面下では進行していたのである。それは自然との確かな関係、人間同士の確かな関係、地域との確かな関係をつくりだすことによって、「人々」のなかに取り込まれない自己をつくりだそうとする試みでもあった。 p.129

社会主義という熱狂、反体制という熱狂もふくめて、熱狂こそが近現代の活力であり、この時代をつくりだしていったのである。

だがいまでは熱狂の代わりに疲れを感じるようになった。これまで人々が熱狂していたものは虚無化していった。とすると近現代は終わろうとしているはずだ。

そしてこの時代には、人々を鼓舞していくような熱狂を伴わない、新たな模索が開始されていた。確かな関係を築きながら、「人々」でしかない生き方から抜けだしていこうとする着実な歩みを人間たちは模索しはじめたのである。

それは関係とともに生きるという存在のあり方だ。自然との関係のなかに生きる。他者との関係のなかに生きる。それは関係的存在としての人間のとらえ直しである。 p.148

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