内山節 ローカリズム原論

日本の民衆たちは昔から、知性で語れることはむしろ表層的なこと、というとらえ方をしています。つまり、語りえない関係を重視するのが日本の人々の発想でした。それは結び合うなかに自分が存在している、自分の主体が存在していることを感じていた人々の発想でもあったのです。

しかし現代社会では、日本の私たちも、あらためて身体性や霊性について語らなければならなくなってしまいました。なぜなら現代社会は、記号化された要素に基づいてつくられたシステムの社会として形成されていて、この社会は知性しか通用しない社会としてつくられているからです。こういう社会のなかで暮らしていると、私たちも身体性や霊性を働かせることが乏しくなってしまいますから、それを遠ざけて生きていくことになってしまいます。それは知性をとおしてしか何事もとらえられない人間を生んでいくことになり、現在では、私たちもあらためて身体性や霊性の重要さを語らなければならなくなってしまいました。p.144

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