岸田秀 三浦雅士 一神教vs多神教

・科学万能主義というのは、全知全能の唯一絶対神を殺してみたものの、神に支えられていた世界の秩序を失って不安になり、神の全知全能性を人間の理性に移して、人間が全知全能の理性を持っているという誇大妄想に陥り、その全知全能なる人間の理性でもって神に代わって人間が世界の秩序を立て直すことができる、すなわち、人間が世界をどうにでもできるという思想ですね。言うまでもなく、誇大妄想です。そのうち、科学が発達して「子供の正しい育て方」が発見されると思っている人がいるということをさっき言いましたが、それは理性の全知全能性、科学の全知全能性をどこかで信じているからなんでしょうね。 pp.125 ・三浦「ユダヤ教キリスト教の伝統というのは、苦難をどうやって意味づけるかということの歴史ですよね」岸田「苦難が神の知るところとなり、いつかは報われると思わなければ、生きていかれない。だから、一神教というのは被差別民が作ったのだと考えれば、被差別という苦難の中でいろいろなトラウマがあったわけで、そのトラウマを記録に残すということで歴史がつくられたということになりますね。これは歴史とは神経症であるという理論とぴったり合う。」 pp.137 ・迫害され、差別されているという状態は、単に被害を受けている、苦しめられている、損をしているということではなくて、正義が失われている状態です。自我はこの状態に耐えられません。ここが重要な点です。迫害され、差別されている状態から脱出しようとする企ては、単に、受けた被害、苦しみ、損失の保証を得ようとするのではなくて、失われた正義を回復したい欲求として表されるのです。だから、被害者は正義感が強いのです。だから、正義感には憎しみがこもっているのです。正義感に基づく行動は暴力的、破壊的なのです。心優しい、おだやかな平和的正義感というものはあり得ません。正義は鉄槌でもって施行されるのです。 pp.172 ***