内田樹 呪いの時代

・生き延びるためには僕たちの脳はかなりまじめに仕事をします。ところが日本では英語を使えなければ困る状況に遭遇することはほとんどありえません。だからロジックとしては簡単で「英語を使えなければ、ほんとうに困る」という社会的条件をつければ、たちまちみんな英語を流暢にしゃべれるようになるはずです。 ・生物が「弱い」というのはどう考えても生存戦略上は不利なはずですが、ある種の社会ではそうではないらしい。「弱さ」をつよくアピールできた個体の方が、「強い」個体よりもしばしば多くの利益を得る。(…)「私は弱者です、被害者です、受難者です」と言い立て、まずそのポジションを確保してから話を始めるというのは、間違いなく、この20年間ほどの日本社会に定着したひとつの行動様式です。 ・自分の汚れを許せないピュアな「私」がましてや他人の怠惰や吝嗇や貪欲を許せるはずがない。自分について許せないものは他者においても許せない。自分の中にある「理想的に自分らしいところ」以外の全てを抑圧しようとする人の眼に、他者はほとんどが「おぞましいもの」として映ります。そのような人が他者と共生することはきわめて困難です。 ・漢字というのは外来の記号体系です。「かな」というのはそれを土着の言語のための音声記号に流用したものです。外来の言語を図像情報として、土着の言語を音声情報として、脳内の二か所で並列処理している。その分裂歴な、あるいは対話的な関係の中で、日本人は思考している。 ・僕の厭なことに耐えられない体質は武道的なものだと思います。最短距離、最短時間、最小エネルギー消費で厭な入力を消す方向に身体を動かそうとする。自分の環境の中に入り込んできた僕の生きる力を多少なりとでも減殺しそうなものから必死で逃れようと身体が自動的に運動する。この「天賦の才能」つまり僕の弱さが「日本社会がこんな状態のままだと、おまえ死ぬよ」と僕に告知しているからです。 ***